「そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國 言靈の幸ふ國と 語り繼ぎ言ひ繼がひけり- 山上憶良 894)との歌がある。

最近ブログ上やインターネット上の掲示板に哀しい言葉が踊っている。言葉は古来よりとても大事なものであり人間であるからゆえに施行できる手段でもある。

ブログ、インターネットにて哀しい言葉を書くことでその言葉は伝播して人の心に感染していく。言葉の存在を軽んじている風潮だ。
感染した輩はまた違う哀しい言葉を生む媒体と成り果てる。

古来、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。

これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が古事記では「言代主神」と書かれている箇所がある。

現代社会において若者は言うことをやめて書くことに手段を大きくシフトしている。電話をやめてメールにはしるのはその一端だ。云う事が書くことに変わり多くの言霊はメディアの媒体に文字として載せられた。

言霊(ことだま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。清音の言霊(ことたま)は、森羅万象がそれによって成り立つとされ現代の社会においてもそれは同様だ。

言葉を軽んじではならない。人の心を哀しくさせる言葉を書いてはいけない。大和の国に生まれし、言霊の国にうまれし我々が大切にしたい心なのだから・・。