私の義父が住む住宅地の公園で問題が起きた。そこにある小さく幅の狭い公園でである。子供達がそこで球遊びを頻繁にするのであるがそのボールがたった一軒のある家にぶつけられたりするらしい。

その一軒は子供達に2年あまり注意していたが当然子供達は無邪気にまた遊び、とうとう土木課に連絡して「球遊び禁止」の立て札が立てられてしまった。それに対して子供達の親達から子供の遊ぶ権利を奪うものとして猛反発をくらった。猛反発をくらったその一軒の方は更に悩むことになる。そんな内容らしい。

さて実際には市の条例では公園で球遊びをしてはいけないという条例は皆無でありその一軒は多分に弱い立場にあるとのこと。条例にないから法律に無いから、遊びという子供の権利を奪ってはいけないから。それだけの理由で本当にその一軒の立場は犠牲にされていいのかどうか。

どれどれとその公園を見に行くとなるほど幅はたかだか4メートルしかなくてプラスティックバッドで打たれたその球はゴム製とはいえ激しくその一軒の家の壁に飛んでいく。
昼間に優雅に過ごしたいそのご主人の静寂はとても保てそうもない。よく2年我慢していたものだ。

窓ガラスが割れなくても静寂を打ち破られる壁のその音は中にいるものにとってはすさまじいものであったに違いない。
子供達にとって遊びは重要であるが人に迷惑をかけたり人の心をふみにじることを押してまではさてどうか。

私は遊びを通じても他人の心がわかる人間になってほしい。
もっと広い野球ができる広場に遠くても行って堂々とやってほしい。

子供、子供と楯に権利を主張する親には寂寥感しかない。
なぜに法律にないのか。なぜに条例にないのか。
今一度考えて欲しい。
それは今までモラルに守られたからに過ぎない。
条例を増やせば増やすほどそれは現代社会の汚さの指標バロメーターの表れ。

ほんの少しの思いやり、気遣いでそれは保たれる。
みんなの公園が皆の笑顔で包まれるように。
切に願う。