久しぶりの東京である。銀座のむとうさんが閉店していた。老朽化で再建を目指すとあるが・・・期待したい。銀座のさくらさんにも訪ねた。秋の引越しに向けて・・個人的には家賃の安い日本橋に行って欲しかったが。下世話である。通り道、銀座もとじを覗く。風変わりの輩の入店でかなり違和感があったようだ。稲生氏の空間デザインはおもしろい。▼
スタートの大丸でアフラックがピットイン。なにやら履いてきたトッズ(ベガスで購入した)の靴が痛いと。慣れたコールハーンでまず一足購入し履き替えご満悦。銀座の竹葉亭で一休み。さてこれまたの新宿伊勢丹であるがフランスのスタウブのグレーホーローの購入。アフラックにはエミリオプッチの新作を購入。やはり奇才ラクロワのデザイナーの頃のプリント柄が一番良かった。2006年秋冬からのマシュー・ウィリアムソンに代わってファン離れが進む。日本一バッグの多い伊勢丹でアフラックに郵便局や銀行用バッグが欲しい(実際そんな呼び名のバッグはないだろう)ということでオロビアンコのバーガンディーなカバンを購入した。伊勢丹のアジオで手軽なディナー。アフラックがオーダーしたイセエビのパスタは値段の割りに美味。意外にもワインとも合う。
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亡き父がよく訪れ探索した街が日本橋だ。今でこそ橋の上に高速道路が架かり最悪の光景となっているが・・・。まずは腹ごしらえで日本橋高島屋の特別食堂へ。高島屋のメインダイニング「特別食堂」。名店の味を愉しむフランス料理の帝国ホテル、関西割烹・大和屋 三玄、そして、うなぎの老舗・五代目野田岩の3つの味が1カ所で食せる特別な食堂。クロークを通って専用の受付人に名前を告げる。今日は土用の牛の日。当然野田岩さん一点買いである。
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アフラックは野田岩の志ら焼きが好きだ。塩で食べたいが此処ではしょうゆだ。この食堂は昭和中ごろ開業でありその頃の雰囲気を日本のどこよりも色濃く残す。アフラックのお気に入り食堂となりそうだ。さて三越本店(日本橋店)へ移る。恒例のコレドの地下上島珈琲で黒糖珈琲を味わう。三越本店正面から入店。最近の外資系ホテルのどこよりも印象深いエントランスだ。入店なり用命のシャネルのサングラスだ。銀座店でも見たが銀座ブティック店でもチェックした。何しろ展開の多いシャネルであるが様々な店でマチマチに入荷しているので複雑である。5147A。捜し続けた結果、噂通りここ本店には他にないものがあった。スケアーなビックフェースに回転型のシャネルマーク。ライトブラウンに即決となる。
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本店日本橋のクロコダイルバックで店員の方が目ざとくアフラックのオレンジクロコを見つけお辞儀をする。自分の店の商品は判るようだ。そこでブルーグレー・クロコダイルの素敵な商品を見つけた。ジュエリーフロアーに移る。実は期待してなかった商品であったがインペリアルトパーズが存在した。銀座ではどこにも無かったのだ。名古屋でもなかったがここに何故かあったのだ。三本あるうちで一つがよりシェリー色をしておりまさにインペリアルトパーズ。
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多種多様な彩りを持っているトパーズの中で、「シェリーカラー」と表現される、シェリー酒に良く似た、やや赤みを帯びた黄色の色調のインペリアルトパーズは、最高級の評価を与えられている。また、インペリアルトパーズの中でも、地色に赤みが加わったものは、夕焼けにも似た美しい色合いを見せ、さらに高い価値が付与される。
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1883年、アメシスト(紫水晶)を加熱すると黄色になることがわかり、それが「ゴールデントパーズ」の名で大量に売られた。ゴールデントパーズは、「トパーズ」と付いていても、アメシストを加熱したものだから、トパーズではない。またホワイトトパーズを加熱して人工的に色を付いたブルートパーズも有名仏伊宝石店が採用しているが石の価値はしかり。この誤った混乱を収めるために、当時ブラジルを統治していた皇帝、ペドロ2世にちなんで、シェリー色の本物のトパーズにのみインペリアル(皇帝)の名が使われるようになった。
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迷った挙句、購入。途中、琥珀のアクセサリーがとても似合い亡き父が母にプレゼントした琥珀のネックレスを思い出した。琥珀には幸運を呼ぶ石、太陽の石と云われ何万年の樹木が化石化したロマンがもたらす芸術品、オーガニックジュエリーだ。
英国では10年目に琥珀婚という習慣があって贈りあったりロシアや北欧では守り石として見につける習慣がある。亡き父が贈りたいと思ったように僕にも押さえられない「贈りたい」気持ちが働く。DNAは恐ろしい。いつか父のその琥珀ネックレスに僕が選ぶ琥珀ペンダントヘッドを付けてみたい。
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実は去年自宅展があったことでこの連休にえみをわすさんで絵や服を購入する予定であったが(勝手に思っていただけだが)開催されず残念!!
その反動でもないがインドの生地で作ったLipsetさんの半ズボンを購入した。帰宅後、母に「お父さんとよく遊んだ日本橋へ行ってきたよ。」と伝えた。母もその頃を思い出し、話が止まらない。父や母譲りの散財歩き、処方箋があればよいのだが。