オーダーと既製。
昔は誰しもオーダーに憧れだものだ。姉のクロコダイル氏も東京くんだりでハナエモリや芦田淳そして在りしころ君島一郎などのクチュールにいったものだ。
よくもあんな値段払うもんだと今になったら感心するがあのころは
「やっぱりーオーダーっていいですね」なんて知ったような発言をしているのを聞いたことがある。

値段も高いし、体にあわせてくれるのだからそりゃ良いかと納得するところもあるのだが果たしてそうであろうか?
仮縫いしてそれらしい人が腕まくりしてメジャー片手に採寸を取り直す。これだけでなんか高そうな雰囲気だし良いものができるような気がするのだが一つお断りしなくてはいけないことがある。
「貴方のもともとのお体ラインを超えることはできません」ということだ。

我々の体は天から与えられたもので(正しくはDNAと不摂生で創られたもので)体のラインは千差万別!モデルのような人がいるけどそれはごく少数。普通はザ・日本人なのである。そのザ・日本人のお体ラインに眼鏡かけてメジャーあわせてコチョコチョ測定しても惨めな服ができるだけだと思うようになったのである。しかもそのお体ラインは日常の不摂生で日々伸び縮みするからもっと大変だ。ある日のオーダー採寸なんてまったく当てにならないのだ。

オーダー靴なんてもってのほか!だ。日本人みたいに扁平足の幅広足に細かく採寸などとろうものならどんな良い木型(ラスト)を使用してももはや土田靴となりはてることを断言する。良い美しい2Eまでのラストに無理やりでも押し込むのでその醜い足を隠せるものなのだ。

服にしても体型を生かしたり、体型をカバーしたりする長所は既製服のほうが分がありそうだ。そんな背景や経済状況から今の世は「オートクチュール(オーダー)から
プレタポルテ(既製服)」の時代に完全シフトしている。
美しい服に巻かれるからこそ、美しい靴に履かれるからこそ美が保たれる。
美にはあくまでも靴や服側を主役にしたほうが賢い選択なのだ。
(反否があるひとはまたオーダー服やオーダー靴を作ればよいです)
これぞ洒落の逆極意かもしれない。