ソイ先生、アフラックさんこんにちわ。
そしてご出産おめでとうございます。
すっかりお久しぶりです。
早3年ともとれますが、此方ではそもそも時間の習俗自体皆無でありますので。
ソイ先生からこの間、何気なく病院の職場に庭の紫陽花を摘み取って
休憩室に飾ったお話しを聞いてふと思い出した話があります。

ソーントン・ワィルダーの「わが町」というお話しをご存知でしょうか。
(ご周知であれば一笑に付してくださいませ。) 
簡単に要約致しますと、
主人公エミリーは単純な恋愛、結婚をし、母となるが、暫くして死んでしまう。
そのエミリーがもう一度、過去のある一日(彼女の誕生日)をありありと
反芻する、そこには、目映いばかりの日の光、雲の形、木の葉のそよぎ、
花々の芳醇な香り、時計の音、家族との散歩、友人との食事。
そうしたありふれた日常が奇跡のような美しさで現れる、、、、
何気ない、単純な毎日が、そして、”生きること”がいかに素晴らしい
ことであるか、そんな事を私達に深く語りかけてくれます。
私達は現実理解を難しく考えすぎていないでしょうか?

たとえば、皆さんの家の窓から何が見えますか?
何気なく見過ごしている「当たり前の風景」。
多分それはかけがえのない奇跡の風景では無いでしょうか。

それこそソイ先生の眼に留まった「紫陽花」の花は奇跡そのものであり
まさに見返りを求めない美しさそのものであったのでしょう。
職場の看護師さんもきっとさぞ「潤い」を恵与されたことではないでしょうか。

かく云う私もちょうど三年前の6月、店の前に咲く一輪の「アジサイ」に
心奪われた一人です。
自分に欠かせぬものはそんなに多くないはずですから。
ソイ先生、アフラックさんにとって今「パタちゃん」の誕生そして存在は
まさにそのものずばりではないでしょうか。

おっと、しばらくぶりにしてかなり長舌となりました。
それではまた。
出会いに感謝をこめて 

Kinderbook cafe
2010.7.6      


中村宏一氏は晩年その何気ない窓から見える奇跡の風景に感動を新たにしていた。
キンダーブックから見えるその窓ごしに見えるアジサイの花に心揺さぶられていた。

アジサイのその花は一輪だけ、地面にくっつくように咲いている。
その姿はあまりにも奥ゆかしくて謙虚。言われなければ誰も気づかないほどである。
気づかれることも求めず、見返りを求めない生涯。
自分にその姿を投影し、愛しく思い、揺れ動いたのではないか。

中村氏との以心伝心で今もなお白熱した議論をして教えられいる。
中村マスターならどう答えるであろうか。どう反論するであろうか。
まさに「是こそ敬友得たり」万感である。

こちらこそ
出会いに感謝こめて

万象庵 庵主soy & aflac
2010.7.6