私の好きな空間美学の天才である両巨人「フランク・ロイド・ライト」氏と「ジョージ・ナカシマ」氏。彼らを今までと全く違う切り口で語る前にどうしても触れておくルーツがある。「アーツ&クラフツ」運動だ。▼
19世紀、産業革命によって人口の都市への集中化が進み、大量生産によってそれまでには考えられなかったほどの商品が供給されると共に、多くの粗悪品が市場に出まわった。そんな中、古き良き時代の熟練職人による質高い工芸品に回帰しようという運動がおこった。アーツ&クラフツ運動である。一番最初に起こったのは、産業革命をいち早く達成した英国である。1860年頃ウィリアム・モリスやジョン・ラスキンによって提唱されたアーツ&クラフツの思想は、多くの芸術家や工芸家の共感を得て、1888年のアーツ&クラフツ展示協会の設立を境に大流行する。そしてその思想は大西洋を超えアメリカ大陸にもにもわたった。
▼
ヨーロッパを旅して、アーツ&クラフツ運動に接したグスタフ・スティックリーがモリスの思想を北米に広めた。家具職人だった彼はモリスの理想に基づいて家具のデザインだけでなくそれが作られる環境にも関心を寄せ、様々な職人たちが共に仕事をし、有機農業で畑を耕し、共に学び、共に暮らす、そんな職人たちのユートピア、クラフツマンファームを築こうとした。アーツ&クラフツは北米全域に広がり、シカゴのフランク・ロイド・ライト、カリフォルニアのグリーン兄弟など多くの建築家にも多大な影響を与えた。英国ではその流行が終焉を迎える1910年ころには、アメリカではアーツ&クラフツは絶頂期を迎える。良質な素材を大量に擁し、シンプルなデザインに頑丈な品質は、新大陸の人々に好んで受け入れられた。
▼
当時のフランクロイド・ライト氏の家具を振り返ると多分にグスタフ・スティックリー氏の造詣に影響されていることがわかる。ある意味、モリスやマッキントッシュの家具よりも更に無駄が削がれた「構造美」の追求である。グスタフ氏の家具が良い意味で多少野暮ったいところが残されていたがフランクロイドライト氏の家具にはそれがない。それでいてしっかり「アーツ&クラフツ」の影響が垣間見られるのは嬉しい限りであり間違いなく彼がその一派であることを物語っているといえるものだ。
▼
ライト氏がどうしても世間の要望に挑み巨大・近代建築に邁進すればするほど評価は上がる。巨大・近代建築に「コンクリート」は必須で避けて通れないものであると「断念」し「前進」あるのみだったのではないか。断念し「コンクリート」を使用して断念して「日雇い労働者」を雇ったのである。然しながら彼はこれらの近代建築に対しても内部造詣には「アーツ&クラフツ」運動精神である「木のオリジナル家具」や英国のステンドやグスタフ氏に色濃く影響され昇華した彼独特の幾何学的ステンドグラスを多用し彼なりの「反骨精神」を墓標として残したともとれるのである。
▼
此処で改めてジョージ・ナカシマ氏を回想してみる。彼は意外に知られていないが駆け出しは「建築家」であり帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京事務所を開設したアントニン・レーモンド建築事務所に入所している事実がある。彼はのちに述べている。
「フランク・ロイド・ライトの仕事が、私を特に失望させた。確かに、使われた形態は興味深く、世界の建築界に対して刺激的効果はあると思ったが、しかし、建築物の構造や骨組みは、どうにも不適当で、また労働者の技能も偽者であると思った。私は、私が初めから終わりまですべてを統合できる、何か新しい職業を探し出さねばならないと思った。そして私は、私の生涯の仕事として、木工作業を選ぶ決心をした。」と
▼
私はここで両者をもっとも理解している一ファンであることを踏まえて仲裁論を述べたい。「果たしてジョージナカシマの言うような理想を踏まえて巨大・近代建築が創造できたであろうか?」素朴な疑問であり最大なる疑問だ。答えは残念ながら「非」であろう。つまり「フランクロイドライト」氏も当然ながらその答えを知っているわけで活躍が評判を呼べば呼ぶほど彼の中の心は「闇」を形成し彼の人生は「悲哀」に満ち「苦悩」の連続だったに違いないからである。
▼
よくジョージ・ナカシマを支持する愛好家は「フランク・ロイド・ライト」とは対極であると表現してやまない。私はこの言葉を訊くとライト氏の心の声が聞こえるようでとても哀しくなるのである。「マス」ビジネスに向かった男と「ミニマム」に理想を求めた男。両者の心には実は職人を愛して、伝統なる工芸を愛してやまない「木のこころ」が共に宿っていたように思えてならないのだ。
▼
天界ではナカシマ氏とロイド氏が談笑する様子が浮かぶ。フランク・ロイド・ライト氏の存在があってジョージ・ナカシマ氏が存在したことは明白なる縁であったのだ。
アメリカにあるフランク・ロイド・ライト氏の建築した邸宅に多くの「ジョージ・ナカシマ」の家具が置かれているのは決して偶然ではなく必然であったのであろう。