優れたデザインのものがあふれている。また情報もあふている。お金さえあれば様々な「グッドデザイン」に囲まれることもできよう。一方で「グッドデザイン」に囲まれることや所有することに何の意味があるかふと疑問になる方もおられるようだ。最近読んだ本にその疑問に答える極めて論理的な行(くだり)があるので引用してみたい。
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渡辺力著「ハーマンミラー物語」より
ジョージ・ネルソン(1907-1986)が1950年代前半記載より。
「グッドデザイン」の熱烈な信仰者は、よくデザインされたモダンな家と部屋
に住むことが出来れば、その人の生活は必ずや充実し、美しくなるであろうと
信じるようです。
住宅、インテリア、その中で使われるものをデザインするのが私の商売なので
このように聞くのは嬉しいはずなのですが、何かそう手放しで喜べません。
問題はどんなに新しい衣服をまとったところで、その人の生き方を変えてしま
う程に人生はそう単純であるとは信じられないということです。」
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「アインシュタインは、ニュージャージーのプリンストンで、くすんだたてつけ
の悪い小さな家に住んでいます。
この人の人生が、モダンなグッドデザインによって、少しでも豊かに、深めら
れると考えられるでしょうか。
またピカソがその気になりさえすればいつでも世界の最も優れた建築家に依頼
することだってできたはずなのに、彼の持っている三つの家は、モダンでもな
ければ、グッドデザインでもありません。
ブラックは月並みなノルマンディの農家に住んでいるし、マチスは普通のホテ
ルのスイートに何年も住み着いています。
この人達は、世界の動きにたいへん敏感であり、深い理解力を持っています。
誰しも、彼らが「グッドデザイン」の意義を理解していないと、非難を投げ
かけることはできないでしょう。
そしてまた、消費者としての彼らは「グッドデザイン」を無視しているという
事実をよく考えなければなりません。
彼らは彼ら自身の「グッドデザイン」を創るのに忙しくて、ほかのことに気を
散らす必要がないのです。」
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「グッドデザインは。よい絵画、よい料理、よい建築と同じように、限界を超え
ようとする人間精神の一つの「現れ」です。
(省略)
創り出す経験を通して、それを創った人が豊かになり、またそれを使い、それ
を見る人たちも、その創られたものに深く反応して、豊かになっていく、それ
がグッドデザインです。
グッドデザインは、一種のコミュニケーションであるとも考えられます。
グッドデザイン持つ情報を十分に理解し、エンジョイすることのできる人に
よって経験されたとき、グッドデザインはその潜在的な力をフルに発揮出来ま
す。 しかし皮肉なことに、そういう人に限って、自分を豊かにするために、
そういうものをあまり必要としないのです。なぜなら、もうすでに彼らは
豊かなのですから。」
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グッドデザインとの付き合い方をネルソン先生は極めて明瞭な具体例を交えて述べている。なるほど優れた料理人が「グルメ」に明け暮れることはないだろう。
僕がお薦めするグッドデザインとの付き合い方
・必要とせよ、さらば与えられん
・つかず、はなれず
・埋もれるな、頭を出せ
・物の存在で何も変わらない、どう使うかで変わるのだ
・自分なら何がグッドデザインか考え、それから求めよ