二回目の来店はほどなくして、アフラックと同行した。初来店から数日しか経てなかったが既に我が家では「マスター」として話題がしきりであった。妻のアフラックももう既に周知の間柄のような気がしていたかもしれない。二回目のあの重いガラスの扉を開けたときは此方二人ともニヤニヤして入店したものだ。さぞマスターは変な印象だっただろう。「いらっしゃいませ。ソイ先生。」もう名前を覚えて呼んでくれた。思ったとおり(ただものではない、この方は・・)すぐ再認識するとともに奥のテーブルを陣取った私たちはメニューそっちのけでマスターに視線を投げかける。

私たちのオーダーを聞きマスターは「承りました。」とまるで執事のように、しかし奥のカウンター内に消えた後「えーっと・・・」今聞いたメニューを思い出すように一声発しまるで昭和のコメディアンのように滑稽にふるまった。私たちは完全にマスターの不思議な魅力に共感したのである。それからは毎週のように通ったものである。マスターはどの客にも分け隔てなく対応する見事な仕事ぶりである。基本的にたった一人で仕切っているので忙しいのであるがほんの少しの間に交わすウイットに富んだ会話が振るっており、もうそれでお客はすでに満足している按配であった。話す会話は多岐におよび、文芸、芸術、政治、医学特にマニアックになればなるほど眼を光らせ嫌味のない程度に掘り下げるのである。

奥にあるテーブル席はいつのまにか僕らが癒される所定席となった。ある時からそこに古いヨーロッパのタイプライターが置かれはじめた。なぜそれが置かれたかマスターに聞いたことはないが彼独特の洒落センスの回答であろうと察した。ぼくらはマスターには殆ど質問をしたことがない。マスターの発する背中や眼差しが普段の滑稽な雰囲気とはまるで違う「何か」を感じていたからである。その「何か」とはまるで晴れ間にかかる雲のようなもので一瞬現れては消えるアレである。私たちはマスターの人格に夢中になる一方、その時折現れる「雲」の話にも時折話しが弾んだものである。それは決して不純な話ではなく常に敬虔な気持ちからである。

私たちに沸き起こる小さな疑問は数あれど最終的に尽き詰めると大いなる疑問は「なぜにあれほど才能を持った人があの場所にいるのか」に結局終始した。僕にはマスターがまるで「出家した禅僧」か「茶の道を究めた師匠」にしか見えなかった。5回目の来店ぐらいからは完全にそう感じていたのである。何か喉につかえた疑問があるときも何か悩みがあるときも、あの扉をあけて出てくるまでには「解決」していたのである。

ある日、また僕らは指定席に座っていた。いつになくマスターが疲れている様子であった。「どうしましたか?」僕があえて聞くと
「実はホームページのことでお客さんから怖いっていわれちゃって・・」
(ははあ〜ん。なるほど)すぐ合点がいった。先日マスターからホームページの存在を教えてもらい僕もそれを閲覧していたからだ。僕が拝見させてもらった印象では(マスターからしたらかなりオブラートをかけて記述しているな)というものであったが、滑稽なおじさんという印象をもっている多数のお客さんからはきっと(何やら得体の知れないブログ)と捉えられかねないものだろう。マスターはきっとこのお店で知り合ったお客万人に何かしら吐露して知って欲しい気持ちがあったがそれが理解されなかった辛さを感じている風であった。こんな眉間を寄せたマスターの顔を店内で見るのは初めてであった。よく覚えてないがマスターには若輩ながらこのキンダーブックカフェにおけるブログの意義は何かとか決してブログは万人に発する必要性がないこと、また双方向を目指さず単なる発信にとどめてもいいのではないかと伝えたような気がする。話し終えて心なしかマスターの眉間の皺が減ったような気がしてあの「雲」が消えていたのである。僕でもマスターほどの博識に役立つことがあるのかと妙に嬉しかった。