feed01f5.jpg姉クロコ氏の誕生日プレゼントとして
依頼されたのがディープフリル。
それは写真でこんな感じ。
アフラックは
全く興味が無い様子
アフラックの好きな傘は
どちらかというと16本以上の
しっかりタイプである 
(江戸職人の傘をもっぱら使用している)
僕もどちらかというと傘はイギリスものは
好みではない
前原光栄や丸善で見つけた傘を愛用する

本当にこのひとのライフスタイルを知りたいとき
以前は「靴」を見るとたとえられた
次は「時計」
「鞄」など。
でも多くの見栄志向増加で「靴」よし「時計」よし「鞄」よし
の人が増えている。見かけだけのだが。
名古屋の典型もそんなタイプが多い
で雨の時、僕は傘をみる
それは変な意味ではない
ビニール傘でもよいのだ
イギリスではよく
「傘」は本当の自分を表わす
要は「素な自分」の象徴だ
金持ちになっても一本3〜5万円の
傘をもてないのには理由があるのだ

いくら豊かになっても傘はビニール傘であれば
素な自分は、透明で飾らない人物なのであろう
そういう意味では、このディープフリルを好きな姉は
やはり生まれながらにして貴婦人なのかもしれない(笑)
というのも、姉は生まれながらにして当家では常に
浮いていたのだ。
グランドピアノを小学校からもって
大学生では二部屋の衣裳部屋
(僕の部屋が大学時代にはなくなっていた)
それも東京くんだりまで芦田淳や森英恵の「クチュール」
喫茶店というものは一度たりとも足を入れなかった。
靴も当時イメルダ婦人と僕は呼ぶくらいに多かった
未だに子どもから一貫してそのスタイルを保持していることは
ある意味「奇跡的」 嫌味がないのはアル意味「天性」
運命論は好きでないが姉を見るとやはり感じてしまう

なくしそうで怖いもの
それが傘である
なくしそうで怖いもの
それが「自分の本質」なのである