e6884246.jpgこの二人を並列して述べることは少ないと考える。敢えて挑戦したい。
アメリカの偉大なる建築家フランクロイドライト。
フランスの偉大なる工芸作家ルネラリック。
二人の共通キーワードは「ジャポニスム」と「アールデコ」である。
19世紀後半にヨーロッパを包んだ日本文化の潮流はまさに芸術家や建築家を飲み込んだといっても過言ではない。「わびさび」「余白の美」「平面、そして平等」
「日常の美」さえもヨーロッパにおいて特にフランスにおいては皆無の見識であったのである。

フランク・ロイド・ライトが、日本の美術・文化に非常に興味をもっていたということは知らているが(彼のスケッチもそんな雰囲気である)浮世絵(ライトは日本の版画と表現)の蒐集家としても一流であり第一人者であった。1912年(明治45年・大正元年)に発足した日本浮世絵協会の名簿に名があることからかなり以前から浮世絵には目を付けていた可能性がある。1900年のパリ博覧会ですでにジャポニスムの影響を受けていた可能性?も示唆されている。実際、帝国ホテルの建設のために来日する以前の1905年(明治38年)、ライトは夫人を伴いクライアントのウィリッツ夫妻と共に初来日をしており、その目的は浮世絵と美術品の蒐集にあったといわれる。その折、日本の建築家としてほとんど唯一の友人であった武田五一に出会い、浮世絵への目を開かせられたられた説もある。

日本に建築をしたがっていたのは実は「趣味のコレクション」のため?という説もあるほどだ。帝国ホテルの設計をライトに依頼するように林愛作に勧めたのは浮世絵蒐集家であるシカゴの銀行家フレデリック・グーキンであり、その林も日本浮世絵協会に名を連ねる蒐集家のひとりであったのだ。浮世絵蒐集するにはまさにヨーロッパでもライバルが大勢いたころで(特にパリで)まさに1905年の初来日というのはライトにとって誠に時宣を得たものであり、浮世絵蒐集をするには時期を逸するかどうかのギリギリのタイミングであったともいえる。
彼の書斎にも大事そうにこれらの浮世絵が飾ってある写真を見つけることができた。
彼は後の自伝に「私の作風はオリジナルなものでほかの如何なるものに影響されていないことを断言する」としているがこれは彼なりの「ジョーク」であろう。
また彼の作風は建築と家具、そしてステンドグラス、ディテールにおいて1925年代に繁栄した「アールデコ」文化に傾倒している。これについては諸家たちも肯定している。

ルネ・ラリックの美術館を箱根で訪ね確信した。彼がガラス工芸家であることは周知であるが彼の建築を見たのは初めてだったからだ。その八角形の部屋を見たときまさに僕は「フランクロイドライト」を思い出さずにはいられなかった。時を同じくして同じような境地に立っていた、偶然ではなく必然になのである。これはアールデコを極めた天才の必然たるサガなのかもしれない。
ルネ・ラリックはアール・デコ国際展覧会(1925年、パリ)のシンボルとなった巨大なガラスの噴水、オリエント急行や大西洋横断客船「ノルマンディー」号の内装、朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)の正面玄関を飾る女神像のレリーフを初め、歴史に残る名作を次々に発表している。こうしてラリックは一気にアールヌーヴォーからアールデコのガラス工芸をリードする代表的工芸家と注目されるようになった。
当初、時代のニーズに応えてアールヌーヴォーを極めた男はジャポニスムさえも昇華させて自分なりの美学「アールデコ」にたどり着いてそれを永遠の栖としたのである。

ジャポニスムはある意味、二人の天才に「余白」の美を諭しながらヨーロッパ美学の脂をそぎ落としたかのように「シャープ」でありながら「シンプル」な幾何学の美しさを教えたのかもしれない。