30cc2f84.jpg拝啓 kinderbook cafe master御机下

つい筆を取りました。シーベルトやらホットスポットやらセシウム、ストロンチウムなど昨今の新聞には毎日聞きなれない「横文字」が並んでおります。50年前なら知らずに死ねた訳ですが「知りえる」所以の由縁は何なのでしょうか。
なぜ日本人ばかりが「広島」と「長崎」以降にこうして日常放射線の脅威にさらされるのでしょうか。
これほど小さい国で「戦勝国」になりたくてその結果の答えが「原爆」なら
これほど小さい国で「高エネルギー必需国」になりたくてその結果が「原発」
と言い放っていいのでしょうか。
いっそ小さい国であのまま「鎖国」をしていたらどんなに実は今「退行」ではなく「精神的発展」を遂げていたかとも・・今となって「タラレバ」発言さえも振り返ってしまうほどなのです。
「我欲」の繰り返しに過ぎない結果をただ振り子のように対峙している、それが「日本」の歴史ならそんな寂しいこと、淋しいことは無いはずです。
「原爆」を受けたとき、目覚めた日本がとったのは「平和」の選択肢でありました。
「原発」の危険を知ったとき、目覚めた日本が取るべき姿は言わずとも賢者なら周知なのかともと考えましたが、今をみれば「そうでもありません」。
賢者が正しい場所に居ないのか、賢者に発言の機会を与えられないのかはとんと分かりませぬが・・哀れとも感じます。
今どうあるべきかを考えるより、今この地に何を残していくか。
残そうなどと考えるからダメなのです。
残さないことが一番、子孫、生物にいいことである場合も知るべきです。
こんな「ぼやき」は残す必要ありませんから
さっと「消去」してください。
久しぶりのメールがこんな駄文ですみません。いつもながら失礼をば。
日頃のお付き合いに感謝して。