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工業の発展は、合成樹脂、鉄筋コンクリート、強化ガラスといった新素材を次々と生みだし、製品は大量生産され、19世紀とは全く違った商品と消費による新しい世界を開拓。新しい価値観は、まず用と美との両立を目指していた応用美術の作家たちにも新しい美の創造を促した。アール・ヌーヴォーの最も簡素な側面、キュビスム、ロシア・バレエなど様々な芸術を源泉として、直線と立体の知的な構成と、幾何学的模様の装飾をもつスタイルが徐々に確立されたのである。
1920年代というのは、現代生活の枠組みができた時代であり、飛行機が飛び、汽船による観光旅行が盛んになり、汽車や車はスピードを上げ、世の中のあらゆるものがめまぐるしく動き始めた。また女性が社会的に男女平等として台頭したのもこの頃である。この動き−リズミカルでメカニックな動きの表現が、アール・ヌーヴォーの有機的形態に取って代わり、鉱物的で直線的なアール・デコの基調となっている。それは電波を表現したジグザグ模様やスピード感あふれる流線形、噴水の図様などに見ることができる。 それまでアールヌーヴォー一辺倒であった装飾芸術が一気にアールデコに流れを変えた革命的文化である。
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社会生活全般における様々なものが合理性と機能主義一辺倒となった今日、近代生活のはしりといえる1920年代、30年代の機能的でありながらも装飾美を兼ね備えたアール・デコ様式が今日再び新鮮に受け止められ、脚光を浴びるようになったのはある意味、妥当で必然であるのかもしれない。
装飾
ルネ・ラリックがアール・デコ博覧会で国際的な脚光を浴び、工芸の価値を、絵画や彫刻などの純粋美術と同じレベルにまで高める
カルティエ
☆タンク オ ビュ アタッチメント 1924年
ストラップの装着部分に砲弾型の飾りの付いたカルティエタンクのバリエーション。装飾的ではあるが、決してデコラティブではなく、たいへんスマートなカルティエ時計として仕上げられている。
☆タンクバケット型 1920年
とてもユニークな形状のケースを持つ縦型のカルティエタンクモデル。小型のムーブメントを搭載することで、とてもスマートに仕上げている。昔は、カルティエの時計サイズの男女の差は現在ほど大きくはなかった。
☆釣鐘型腕時計 1920年代末
カルティエでこそ見られるあぶみなどの馬具からデザインのヒントを得たと考えられるモデル。カルティエからだと、どんなものでもデザインモチーフになるという好例。変形モデルではあるが現在でもとても斬新に感じさせるところがカルティエならでは。
建築・家具
アイリーン・グレイがsteelパイプ家具の制作に入る
コルビジェパリ改造計画案を発表
ジャン・プルーヴェ 父の弟子であった画家、マドレーヌ・ショットと結婚。
ミューラー、シュナイダー、ガレ
音楽
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ没年
洋服
ココシャネル
1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「No.5」、「No.22」を発表した。
このころ劇作家のジャン・コクトー、画家のパブロ・ピカソ、作曲家のイーゴリ・ストラヴィンスキーなどが集うサロンを主催するミシア・セールと出会い、ストラヴィンスキーやジャン・コクトー、ロシアのドミトリー・パヴロヴィチ大公などサロンの様々な人物と交際する。
この頃、同い年である画家・マリー・ローランサンに肖像画を描いてもらう。