その「signal」「sign」はもう既に3箇月まえから
出されていた。
パタがわがlivingに掛けてある20kgもあろうか
France製の鏡をよくよく触って「にっこり」
何度も指を指して訴える。
よく触るから「外そうか」などと思いつつも放置
前日はその鏡を購入した家具店をなんと
3年ぶりにぶらり入店。
アフラックに
「此処でパタが最近触っている鏡、買ったんだよね」
と再確認の独り言。

昨日、パタとアフラックが寝静まった深夜22時07分。
ふと私はその啓示された「sign」に突然気づいたのである。
「そうか!!鏡を外せ」ってことか!!と
その瞬間である。
20kgの鏡、しっかり掛けてあるはずの鏡が
音を立ててゆっくり「動き出したのである」
想像してほしい。
その「音」そして「動き」
そこからがまさに「芸術」であった。
20kgもある重厚な大きさ1mもある鏡が
高さ2mからゆっくり移動する様を・・。
sofaにワンクッションさせて
そしてコーナーテーブルに
セカンドクッションさせて
そして
フローリングに
これまた
この角度しかない!角度で
綺麗に
落ちた
といより
移動したのである。
目前でパソコンしつつ
直前にその「sign」を
気づいた僕としては
まるで
「そこに3〜4人の職人が」
綺麗に移動させたがのごとく
何のものかの手で動き
2mの高さから
鏡がうつぶせに鎮座している
のである。

「何があったの〜」
眠たい目を擦りながら
アフラックが起きた。
パタは当然、眠っている。
事の次第を簡潔に述べた。
起きたばかりだがアフラックはその話に
「鳥肌がたってきた!」と興奮。
守護、庇護していただいたことに感謝して
結果を周知のごとく
その鏡が
「おそらくまったく傷ひとつないと思う」
と断言して
鎮座した鏡を起こしそれをアフラックに見せた。
「ピカリ・・」傷ひとつなかった。
またアフラックが
「鳥肌が収まらないヨ〜」
見ていた僕は物理学上ありえない動きと
ありえない時間空間に敬意を評して
「いつも此処にすわっている二人が寝てから鏡を外したんだね」
「ぼくらがいつまでもsignに気づかずやらないから・・・
絶対安全な時間に決行したんだ・・・」
とその鏡を安全な場所に移動させた。
パタが日中、いつもいる場所にもし落ちたらとぞっとするが
ぱたは次の日に鏡があった場所を指さして
「ないね〜」とニッコリ。パタは既に知っていたわけで知らぬは両親だけだった・・・トホホ、お粗末な拙話である。