古代ローマから西洋の犯罪史においては加害者を特定化して懲罰を与えることが実しやかな法律が作られる土台となった。
現代では、まず法の裁きの前にあるのは「世論」という巨大なマスメディアを先ずもって「裁き始めて」そして皆を「煽り」そして正しき「法の裁き」を待つといった案配か。時代は変わり果てたものだ。
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昨今の「東電の原発問題」にしろ、「ユッケの食中毒」事件にしろ、「首相下ろし」にしろ、悪者探しに躍起になり「加害者」を特定することが、つまりそれが「マスメディア」の「旗立」かのような様相で猛然と迫っている。
時には「弱者」を助ける美徳感を印籠のごとくひけらかして迫る様はなんであろうか。
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はたして
東電の原発問題に「加害者」は本当にいるのだろうか。
天災がもたらしたものであれば、加害者が「天災」であることでは「世論」が盛り上がらないと考えた単に「加害者」擁立の被害者とも裏面にはとれる。
ここで考える物質的加害者は「放射線」であるが、その放射線の側から見ればその放射線を作り上げたのが人間であるのなら、やはり加害者は「人間自身」ということに「回帰」してしまうとも・・。
昨今の「マスメディア」のように「悪者・加害者」を旗立てて「明確化」する論法にはそろそろ「限界」がみえるような気がする。
なぜなら昨今森羅万象おこること・・・混沌としすぎており・・
終局は、われわれ現代の人間の「生き様」自体が「悪い」からではないだろうか。
現代では、まず法の裁きの前にあるのは「世論」という巨大なマスメディアを先ずもって「裁き始めて」そして皆を「煽り」そして正しき「法の裁き」を待つといった案配か。時代は変わり果てたものだ。
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昨今の「東電の原発問題」にしろ、「ユッケの食中毒」事件にしろ、「首相下ろし」にしろ、悪者探しに躍起になり「加害者」を特定することが、つまりそれが「マスメディア」の「旗立」かのような様相で猛然と迫っている。
時には「弱者」を助ける美徳感を印籠のごとくひけらかして迫る様はなんであろうか。
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はたして
東電の原発問題に「加害者」は本当にいるのだろうか。
天災がもたらしたものであれば、加害者が「天災」であることでは「世論」が盛り上がらないと考えた単に「加害者」擁立の被害者とも裏面にはとれる。
ここで考える物質的加害者は「放射線」であるが、その放射線の側から見ればその放射線を作り上げたのが人間であるのなら、やはり加害者は「人間自身」ということに「回帰」してしまうとも・・。
昨今の「マスメディア」のように「悪者・加害者」を旗立てて「明確化」する論法にはそろそろ「限界」がみえるような気がする。
なぜなら昨今森羅万象おこること・・・混沌としすぎており・・
終局は、われわれ現代の人間の「生き様」自体が「悪い」からではないだろうか。