長嶋有×綿矢りさ×名久井直子 書きつくせぬ想いと題された番組を観ていて・・。
ちょっと安心した自分。
当初、論文書いても同じく「ボツ」が多かった・・。
めげそうな気持ちを抑えて書き続けて「採択」された喜び。
医学・科学論文故だからと思っていたが
純文学の世界でも「ボツ」ってあるんだ・・と
皆、文章にがんばっているんだなと。

 もちろん医学・科学では論拠や背景、着眼などあらゆる要素で採択に足りうるものか
判断され「文章力」とは少し違うのだが。
それでも編集者や査読者らから「ボツ」といわれる
憔悴感や落胆は同様なものである。
一度あまりにも悔しくてその論文査読者に
なぜそうなのか「論文よりも長い文章」を
書いたことがあるが若気の至りで、今となってはただ恥ずかしい思い出だ。
(終局、逆転で「採択」されたが温情処置であろう)
医師や科学者なら人生一度でも
「Nature」、、「The Lancet Oncology」、「New England Journal of Medicine」
に掲載されたい思いは強いはず。
これは作家たちが芥川賞や直木賞にかける思いと似ていなくは無い。


「綿矢りさのボツ原稿 長嶋有「ください」」
綿矢はデビューまで3年間、出版社に原稿を「ボツ」にされたと話す。
長嶋が「文芸社に断られたら、ぜひ僕にください」。
「寡作家と呼ばれていることに?」
「ボツになるから出せなかったものもあるんです。」

逆に
長嶋有の悩み「ボツにならない」
長嶋は逆に、出版社に「ボツにならない」ことが不安といい、チェックされていないのではと心配になるという。
綿矢さんに対しては
「出版社側が駆け引きでボツを出しているのでは」。と
「へえ〜そんなにあるんですか。ある意味編集者の愛の鞭的なものでは・・。」


綿矢りさと長嶋有 同じ家族だったら・・・
長嶋が「ボツにならない」ことに対して「自分は手のかからない次男坊なのかな」。
綿矢は「自分は悩みすぎの長女」。
長嶋「小説家一家物語みたい」。