職場へ行く前に珈琲屋で一杯のカフェオレ・モーニングセット。
そこで婦人女性誌をまとめて速読する。
最近読んで「ふにゃ??」と疑問に思った稿が当たった。
斉藤薫女史の原稿である。
氏によれば「男性がプロポーズするときに、幸せにするからという件」これ自体にそもそも誤りがあり、元来は女性自身に男性を幸せにする根本が宿っているという論理展開。
これはこれで文章としては面白いのであるが
僕としては「ふにゃ??」と首を傾げてしまうのである。
まあ元々女史の論理は「幸せと美」とか幸福論が僕とは違う価値観なので反駁する気さえ起きない。
一方で女史の論理に多くの「己を持たない女性」が群がる理由(わけ」も判った気がした。
▼
どんなライフスタイルでもそれ自体をどう面白く捉えるか、その発想自体に楽しく過ごすessenceが詰まっている。
「いつも貴方は面白いイベントに出くわすね」なんて云われる。
それはたまたま面白いイベントにいるのではなく
ちょっとしたスパイスをそこに施すから、起こるべくして起こり、そこに必然に出くわすのだとも思う。
そんな発想力は男性だから、女性だからというものではない。誰にだってある。
家族の誰がスパイスをかけてもイイ。
そういうessence・スパイスを「家庭」や「パートナー」、「家族」にふりかける。そしてその反応を求めない。
あくまで「自然」に。「見返り」さえもとめない。お金をかけなくとも時間をかけなくともスパイスは存在する。
こういう作業に「幸福論」なんて大げさなもの、似合わないだろう。
そこで婦人女性誌をまとめて速読する。
最近読んで「ふにゃ??」と疑問に思った稿が当たった。
斉藤薫女史の原稿である。
氏によれば「男性がプロポーズするときに、幸せにするからという件」これ自体にそもそも誤りがあり、元来は女性自身に男性を幸せにする根本が宿っているという論理展開。
これはこれで文章としては面白いのであるが
僕としては「ふにゃ??」と首を傾げてしまうのである。
まあ元々女史の論理は「幸せと美」とか幸福論が僕とは違う価値観なので反駁する気さえ起きない。
一方で女史の論理に多くの「己を持たない女性」が群がる理由(わけ」も判った気がした。
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どんなライフスタイルでもそれ自体をどう面白く捉えるか、その発想自体に楽しく過ごすessenceが詰まっている。
「いつも貴方は面白いイベントに出くわすね」なんて云われる。
それはたまたま面白いイベントにいるのではなく
ちょっとしたスパイスをそこに施すから、起こるべくして起こり、そこに必然に出くわすのだとも思う。
そんな発想力は男性だから、女性だからというものではない。誰にだってある。
家族の誰がスパイスをかけてもイイ。
そういうessence・スパイスを「家庭」や「パートナー」、「家族」にふりかける。そしてその反応を求めない。
あくまで「自然」に。「見返り」さえもとめない。お金をかけなくとも時間をかけなくともスパイスは存在する。
こういう作業に「幸福論」なんて大げさなもの、似合わないだろう。