ようやく漸く手に入れたものである。たかだかポスターとはいえこの風合いを見た方は世に言うリトグラフなんぞに何十万を払う輩がいることを考えるとこの出来具合と風合いの入れ込み用はそのレベルの価値があるだろう。
仮に仮にフィンユール氏の直筆サインがこれにあれば100万円を払う人がいることは容易に想像が出来る。
それほどフィンユールを愛するひとはcoreであり熱狂的であり椅子馬鹿の極致なのである。
(椅子馬鹿のこの極致は遺族と組んで椅子を復刻させたり、美術館を作ったり、自邸を再現したりする酔狂たちである。)
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さてこのフィンユールのポスターを再度ご覧あれ。この1945年に製作された名作中の名作45番さらにこの椅子の色が黄色であることが如何にフィンユール自身も思い入れがあるか分かろうものである。彼はこの黄色をこよなく愛したことは自邸の重要な部分にこれらの黄色があしらわれていることからも想像に容易い。
然しながらぼくはこの椅子を所有するつもりは当分無い。50脚以上の椅子との出逢いの中でどうしてもこのフィンユールの椅子には食指が動かないのは高級ワインが嫌いなのと同じ理由があるからなのではと自己分析する。
高級ワインが嫌いといっても高級ワインが悪いわけではない。高級ワインを取り巻く輩や薀蓄が鬱陶しくてその邪念がそうさせるのだ。フィンユールの椅子が悪いわけではない。フィンユールも悪いない。
現代のフィンユール好きたちの輩や薀蓄、専門家が煩く鬱陶しいためである。その邪念がこの椅子に座るたびに回想されるimageが過ぎる。だから当面この椅子がぼくらの空間に置かれることはないと思っている。
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ではなぜポスターは佳しなのか?
このポスターにはそんな輩たちや薀蓄がまだ存在しなかった素のままのフィンユールがこの椅子をdesignしようとした純朴な気概を感じるからだ。なんと神々しいであろうその気概を感じる背景には邪念が全く入る余地などないからだ。まさに物つくりの原点を感じるそんな作品なのである。
併せてこんな珍しいポスターも入手した。1949年の作品でこれもフィンユールを代表とするアクアブルーである。

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これらのポスターはデンマークにあるフィンユール美術館に行けば手に入るそうだ。日本では本当に入手が困難である。まあある意味そうあるべきなのかもしれない。