「さて次は何を話そうか」
「では学と道を知ることで私たちはどうなるのでしょうか?」
「そこかね。学問を修める者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を修める者は失っていく。」
「何を失っていくのでしょうか?汚れでしょうか?」
「道を修める者は日々に色々な汚れであり欲望を減らしていくのだよ。欲望を減らし、更に減らして、何事も為さない所まで行き着く。」
「そこには何があるのでしょうか」
「何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。万物を纏める唯一の方法は、いつの時代も何事も為さないようにする。」
「我々の此の時代、情報錯乱の世でも同じように何事も為さなければ、悪が汚れが横行するような懸念があります。いかがでしょうか?」
「道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。作為的なことは何もしていないのに、全てを為していることを言っている。何かをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為していると。今の政治や国がなすこと、エネルギーのことを須らくそれは作為があるということを意味している。」
「つまりそれは無為であるべきと仰られている?」
「わかってきたかな。意図や意思、主観をすべて捨て去って、天地自然の働きや教えに身を任せて生きれば何事も為さずとも良いと言っているのだ。」
「先生の常常言われている無為自然はまさに私の知っている是空の概念とも似ているようなきもします」
「私自身はその是空の概念は知らないが・・ちと違う」
「無為自然を妨げるのはまさに欲望、仏教としてもそれは餓鬼と象徴されております。」
「なるほど似てなくともないかな。人為的に財産、名誉、地位、享楽などを求めればそれらは付着物としている。
その付着物の概念には知識、健康、長寿さえも同列として扱われる。知識さえも小賢しい付着物とするならやや仏教とは違うであろう。」
「では学と道を知ることで私たちはどうなるのでしょうか?」
「そこかね。学問を修める者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を修める者は失っていく。」
「何を失っていくのでしょうか?汚れでしょうか?」
「道を修める者は日々に色々な汚れであり欲望を減らしていくのだよ。欲望を減らし、更に減らして、何事も為さない所まで行き着く。」
「そこには何があるのでしょうか」
「何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。万物を纏める唯一の方法は、いつの時代も何事も為さないようにする。」
「我々の此の時代、情報錯乱の世でも同じように何事も為さなければ、悪が汚れが横行するような懸念があります。いかがでしょうか?」
「道はいつでも何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。作為的なことは何もしていないのに、全てを為していることを言っている。何かをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為していると。今の政治や国がなすこと、エネルギーのことを須らくそれは作為があるということを意味している。」
「つまりそれは無為であるべきと仰られている?」
「わかってきたかな。意図や意思、主観をすべて捨て去って、天地自然の働きや教えに身を任せて生きれば何事も為さずとも良いと言っているのだ。」
「先生の常常言われている無為自然はまさに私の知っている是空の概念とも似ているようなきもします」
「私自身はその是空の概念は知らないが・・ちと違う」
「無為自然を妨げるのはまさに欲望、仏教としてもそれは餓鬼と象徴されております。」
「なるほど似てなくともないかな。人為的に財産、名誉、地位、享楽などを求めればそれらは付着物としている。
その付着物の概念には知識、健康、長寿さえも同列として扱われる。知識さえも小賢しい付着物とするならやや仏教とは違うであろう。」