「老子さまにとってお金とは何なのでしょう?」
「それを聞くこと自体、無為自然に反するがいかがか?」
「そう来ると思っておりました。ただ今回は現代の悩める人たちに成り代わってお聞きしたいのです」
「君がそう遜った聞き方をするであろうことも予見されておる。今日は特別じゃ。」
「ではもう一度聞きます。お金とは何でしょう。」
「お金とはそもそも存在しないものであることを知っておるだろうか?」
「勿論です。原始社会ではそもそのブツブツ交換でしたからね。」
「お金とは社会の秩序・仕組みを決めるのに対価として生まれた。然しながら社会が煩雑・複雑にナルにつれその対価の基準に過ぎなかったものが、量的関係だけで富と貧が形成され、富めることを目標にする人が生まれ出した。これを資本主義と君たちは呼んでいるんだろう?」
「其のとおりです。」
「私は以前に得難きの貨は人の行いを妨げしむと教えたがそれは今も同じじゃ。日常、生活するには当然のことながら適度な「お金」が必要だが、ついつい度を超してお金儲けだけを目的に仕事や物事をしていると、お金のことばかりあたまにあり、本当はその仕事の意義や、しいては自分自身の存在意義すら忘れてしまうことがある。 お金ばっかりを追いかけ、お金儲けだけのために仕事をすると、「こころ」や「魂」が乱れてしまい、平常心を失い汚れた心になってしまうものじゃ。現代の人たちが仕事の本質だけに眼をやって「割の悪い仕事」とか「儲けが少ない仕事」という発言はもともと人間社会が生まれる以前には「存在すらしない言葉」である。この意味わかるかのう?」
「恥ずかしながら私もバイト等でそんな了見を持っていた一人です。仕事自体がある事、その質、意義自体にこそ意味があるもので、そもそも社会が勝手に決めた「対価」には意味などないということでしょうか?」
「やや雑な言い方をすれば其のとおりとなる。TVスターや企業経営者など法外な対価を得ていることと人知れずボランティア同様の仕事をされて微々たる対価を得ている人の本質を比較することなど出来ない。」
「お金儲けはやはり「悪」でしょうか。」
「それは儲けが入ればやや邪悪であろう。当然社会生活をするにはお金は適度に必要じゃが、お金儲けを目的に腹八分を過ぎても満腹なく求めるのはいかがか?人として、人間として仕事を通して成長させてもらえることも
じっくりと噛みしめながら、人間らしい生き方を手に入れることだけが重要なのである。」
「期せずしてお金が入り込んだ場合はどのようにしたらいいのでしょう」
「どれだけ人のために使えるか。」
「それは家族でも社会でも良い?」
「其のとおり、自分の対価としてそれに埋もれても手放さないならまさに糞詰まりと同じくじゃよ。」
「糞詰まりにならないためには?」
「実は本当に清い心で仕事の意義を理解して邁進するものはその仕事から学びがありそのような事を考えなくとも理解しているものじゃ。故に禅問答のようになるのだが・・仕事の意義だけを考え邁進すれば自ずと糞詰まりにもならない。自然に世の中に受け取った対価は流れていくものじゃ。」
「それを聞くこと自体、無為自然に反するがいかがか?」
「そう来ると思っておりました。ただ今回は現代の悩める人たちに成り代わってお聞きしたいのです」
「君がそう遜った聞き方をするであろうことも予見されておる。今日は特別じゃ。」
「ではもう一度聞きます。お金とは何でしょう。」
「お金とはそもそも存在しないものであることを知っておるだろうか?」
「勿論です。原始社会ではそもそのブツブツ交換でしたからね。」
「お金とは社会の秩序・仕組みを決めるのに対価として生まれた。然しながら社会が煩雑・複雑にナルにつれその対価の基準に過ぎなかったものが、量的関係だけで富と貧が形成され、富めることを目標にする人が生まれ出した。これを資本主義と君たちは呼んでいるんだろう?」
「其のとおりです。」
「私は以前に得難きの貨は人の行いを妨げしむと教えたがそれは今も同じじゃ。日常、生活するには当然のことながら適度な「お金」が必要だが、ついつい度を超してお金儲けだけを目的に仕事や物事をしていると、お金のことばかりあたまにあり、本当はその仕事の意義や、しいては自分自身の存在意義すら忘れてしまうことがある。 お金ばっかりを追いかけ、お金儲けだけのために仕事をすると、「こころ」や「魂」が乱れてしまい、平常心を失い汚れた心になってしまうものじゃ。現代の人たちが仕事の本質だけに眼をやって「割の悪い仕事」とか「儲けが少ない仕事」という発言はもともと人間社会が生まれる以前には「存在すらしない言葉」である。この意味わかるかのう?」
「恥ずかしながら私もバイト等でそんな了見を持っていた一人です。仕事自体がある事、その質、意義自体にこそ意味があるもので、そもそも社会が勝手に決めた「対価」には意味などないということでしょうか?」
「やや雑な言い方をすれば其のとおりとなる。TVスターや企業経営者など法外な対価を得ていることと人知れずボランティア同様の仕事をされて微々たる対価を得ている人の本質を比較することなど出来ない。」
「お金儲けはやはり「悪」でしょうか。」
「それは儲けが入ればやや邪悪であろう。当然社会生活をするにはお金は適度に必要じゃが、お金儲けを目的に腹八分を過ぎても満腹なく求めるのはいかがか?人として、人間として仕事を通して成長させてもらえることも
じっくりと噛みしめながら、人間らしい生き方を手に入れることだけが重要なのである。」
「期せずしてお金が入り込んだ場合はどのようにしたらいいのでしょう」
「どれだけ人のために使えるか。」
「それは家族でも社会でも良い?」
「其のとおり、自分の対価としてそれに埋もれても手放さないならまさに糞詰まりと同じくじゃよ。」
「糞詰まりにならないためには?」
「実は本当に清い心で仕事の意義を理解して邁進するものはその仕事から学びがありそのような事を考えなくとも理解しているものじゃ。故に禅問答のようになるのだが・・仕事の意義だけを考え邁進すれば自ずと糞詰まりにもならない。自然に世の中に受け取った対価は流れていくものじゃ。」