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時計には現在三つのカテゴリーがある。
「腕時計、掛け時計、置時計」だ。
ただし、世の男性や女性たちが主に重用するのは今、腕時計ばかりだ。
腕時計はいくつも所有するのに、また付け替えるのに、掛け時計や置時計はそちのけ。
designさえも気にしない。
腕時計に気を使っている人の多くがこのタイプ。
また気にしているようで、こっちが気になるのが一貫性の無さ。
腕時計がモダンが好きか、スポーティーが好きか、デザインが好きか、機械式が好きか
こだわりも無い潔い人が腕時計にしても掛け時計にしても気にしないことはそれでいい。
だた気にしている人が、腕にあるのは気になって、いつも眼にする空間の時計は気にならないのは妙なのだ。

「一貫性 」

もし仮に、そのdesign哲学が好きで腕時計を所有しているのなら
空間に置く時計も『一貫性』があると気持ちがいいだろう。
ただし、そんな時計designに『一貫性』がある時計なんて存在するのか?ってこと。
例えば、ノーチラスパテックを所有して、パテックがおんなじ文字盤で同じ色の置き時計や掛時計を作っていなかったりするのだ。カルティエなどはご丁寧に置時計は作ってくれているのだが残念ながら掛時計は持ち合わせていない。
逆にパネライは掛時計は作っているのだが置時計は作っていない。
スウォッチにしても掛時計をマキシマムで具現していてもこちらも置時計が無い。
それほど時計の世界でこの『一貫性』を所有することは難しいともいえる。

そういう意味ではデンマークが生んだ20世紀で最も影響力のある建築家兼デザイナーであり、今日のモダンな北欧デザインの原型を作り上げたデンマークデザインの父アルネ・ヤコブセンはある意味、この「腕時計、掛け時計、置時計」において『一貫性』あるdesignがあるのだが若干時計の形状等でその完成度が欠ける印象も否めない。例えば僕も所有してる置時計の名作壮大かつエレガントなデザインが印象的な『ROMAN』はこの置時計にしかデザインプロダクトが無い。そういう意味でやや『一貫性』に乏しい。
日本の渡辺リキdesignは欧州design先駆に胸を借りる形で意外と良い線を得ている。
和室モダンにこんな掛時計があって、ちょっとした玄関にリキ置時計がおいてあり、着物で出掛ける若旦那がこのリキデザインの腕時計だったらちょっと出来過ぎ君なのである。それほど日本の空間にはマッチする秀逸な『一貫性』あるdesignだ。ただ僕はリキアラーム意外は苦手だ。(ゴメン)

実はもう一人忘れてないけないデザイナーがいる。ネイサンジョージホーウィット氏。
この人の名を知らなくてもモバードの名を知らない人は少ないだろう。
言い換えるのならモバードの名を知らなくてもこの文字盤に見覚えがある人は多いだろう。
モバードといえば、「ミュージアム」シリーズ。
正午の太陽を表すという12時位置のドットを除くすべてを排除したデザインは、一度見たら忘れられないインパクトがある。 1961年に発表されたこの時計のデザイナーがホーウィット氏なのだ。

実はこのモバードからは置時計も掛時計も作られていない。
じゃあ『一貫性』って夢話かと?いえいえ。

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ネイサン ジョージ ホーウィット氏はアメリカのハワードミラーからこれらの時計プロダクトを発表していたのである。
しかもお手頃な価格でだ。
改めてこのデザイン。

機能美というほど無駄なものが無くて、simple。
完璧なる『一貫性』たるデザイン!!
そうそう、最近どこかのGQ雑誌が
「時計designerの先駆けがジェラルドジェンタ」と記載していたが
1972年にオーデマピゲ・ロイヤルオークを1976年にノーチラス・パテックを発表しているのは
事実であるが、そうであるのなら
ネイサンジョージホーウィット氏は1950年以前にこの、ミュージアムdesignを起こしており
プロダクツ自体も1961年に発表しているのだから先駆者はこちらだ。
(ジェンタ氏が偉大なる時計designerであることにはかわりないが)

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ミッドセンチュリー的でありながらBauhaus的でもあり時計史に
「文字盤 」というKategorieを設けるのなら
これほど画期的なdesignは無いのではなかろうか?

このデザインが一貫して所有できるという盲点。

今後このネイサンジョージホーウィットによるdesignの一貫性は再度脚光を集めるのでは・・。
確信に変わった瞬間である。

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