「基本的には何でもいいとは思いますよ。」

「ただ雑誌にこれみよがしに載せてインテリア論語られるとちょっと反発感もありますよね。」

「それジャンプルーヴェやフィンユール、ペリアン、セルジュムーユを並べ立ててインテリア好きを語るならずともインテリア論まで語りだすと基本的にはウザクなるもんなんです。それを語った瞬間に空になる。
で実際にそれを見たときに思うことは
これって誰が住んでも誰のものでもないような感じなんだよね。」

「束縛感があって自由になれないっていうのかな、デザイナー家具の宿命っていうのかな。」

「特に名作家具っていうのを知っていて購入して所有するっていうのには勇気がいるよね」

「有名なものに囲まれるよりは、無名なものでも気に入っているものに寄り添ってもらいたい。それって人生スタイルにも通じると思うんだよね。」

「有名人と知り合いになったりお付き合いしたいって一瞬誰でもおっとなりますよね。でも無名人でも心が通じることのほうが大事でしょ。これって有名家具や有名人を否定しているわけではないですからね。人生の根底的な部分ですから」

「だから有名家具で統一された部屋ってなんか自分の個性が否定されるようで牢獄感が漂うんだよね。なんか人生、すべて有名塾、有名大学を卒業して有名な会社に入ってみたいな。有名な人になりたいって?!それ自体がまさに人間の寂しい欲望っていうのか餓鬼的な考え方でしょ。まあこれは極論だから・・・。」

「ドラックファニチャーもいい、セルジュムーユもいい、ジャンプルーヴェもいい、ただそれに毒された空間は空間に主として生活する人格の没個性化につながるといっているんだ。」

「アノニマスなものを好む空間ってそれ自体も生き生きとして物の家族としてまとまっている。なんか大家族みたいでね。 有名デザイナーみないなスター選手ばかり居住空間に入れるとなんかよそよそしくて浮く感じあるでしょ。たまの年に数日招待するのなら刺激的だけど毎日の居住空間にはちょっと煩わしいことってあるでしょ。その感じに似ているんだよね。海外の有名人でたまにたどり着く境地って共通項があるんだけどインテリアに決して名作家具を置かないでしょ、アノニマスなものばかり好んで置く・・。そうなるべくしてなっているかもしれないよね」


「ものを何も置かないインテリアの考え方も受け入れる。
数ある部屋の中でそういう部屋もありだと思う。
一方で全部がそんな部屋なら
それは誰が住んでも作り立ての空間というだけで居住空間にはならない。
気に入った家具や雑貨を住む人がタクトして何気なくコントロールする。住む人が心地よいように、それがそこにあるべくしてある。まあ物の方の考え方なら物が自然と定位置を求めて集まってくる。
それが自然に行われているのなら物が多いことが邪魔には感じないしかえって
心地よいパワーやリズム感ある旋律が生まれるって思うんだ。」

「まあこれで春としては十分しゃべったので以上としますよ。次は夏に?!」