トラクシオンアヴァン
愛車という言葉がある。
何処ぞの高級オーディオの社長が大きな声で話していた。
「 今のくるまは面白みが無い 」と。
ぼくは聞いていて心の中で首を横に振った。
「 違うな 」と
かっての時代の名車たちの性能を完膚無きまで超越した現代の車たち。
故障も圧倒的に少なく、性能もいい。
果たしてルックスは?
これは好みかもしれない。
50年前には購入出来る車種の数は今の100分の1にも満たない。十分、デザインも「 個別化 」可能な時代で有ったはず。
それが此れ程の有象無象では個別化は至難の技、たとえ個別化を果たすことができてもただちに模倣されてしまう。
ただしそれを詭弁的擁護としても今のデザインには愛車となり得る愛着感が育みにくいという一部の愛好家の批判は常に存在するのも事実である。
「 空力 」この忌々しい言葉がもしかして何かを台無しにしたかもしれない。
市販車に過剰な性能を載せたいばかりに空力を極限にするということがどれほどの意味を持つものなのか。
身の丈の性能と実用美
このバランスと調和
「 今のくるまは面白みが無い 」と。
ぼくは聞いていて心の中で首を横に振った。
「 違うな 」と
「 面白みを感じる感性が無い 」と。
FIAT500の初代