なんびとも一島嶼にてはあらず。
なんびともみずからにして全きはなし。
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。本土のひとひら。
そのひとひらの土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗い行けば、
洗われしだけ欧州の土の失せるはさながらに岬の失せるなり。
汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園の失せるなり。
なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。
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この詩を見て「誰がために鐘は鳴る」の冒頭で引用されている17世紀のイギリスの詩人、ジョン・ダンのものだと分かった方はかなりの英国通であります。
英国ではシェイクスピアとジョンダンありとされ、今なお英国の恋愛詩や宗教詩において燦然と輝く牧師にして詩人。
そんな重苦しい前置きはいりません。
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ジョンダンの詩を明るく前向きに捉えたならばどうでしょうか。
鐘の鳴りひびく音を「 死にゆく音 」ではなく 「生まれ出る音」と捉えたならいかかでしょうか。
ジョンダンはそう言っている気がしたのであります。
えみおわすの空間にいると ああそうだったかもしれないなと
そのうえでもう一度、いま一度問いてはいけないのです。
誰がために鐘は鳴るやと
そは汝がために鳴るなれば と。