2015-03-21-15-17-24
   

なんびとも一島嶼にてはあらず。
 なんびともみずからにして全きはなし。
 人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。本土のひとひら。
 そのひとひらの土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗い行けば、
 洗われしだけ欧州の土の失せるはさながらに岬の失せるなり。
 汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園の失せるなり。
 なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
 そは、われもまた人類の一部なれば、
 ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
 そは汝(な)がために鳴るなれば。



この詩を見て「誰がために鐘は鳴る」の冒頭で引用されている17世紀のイギリスの詩人、ジョン・ダンのものだと分かった方はかなりの英国通であります。
英国ではシェイクスピアとジョンダンありとされ、今なお英国の恋愛詩や宗教詩において燦然と輝く牧師にして詩人。

そんな重苦しい前置きはいりません。


ジョンダンの詩を明るく前向きに捉えたならばどうでしょうか。

鐘の鳴りひびく音を「 死にゆく音 」ではなく 「生まれ出る音」と捉えたならいかかでしょうか。

ジョンダンはそう言っている気がしたのであります。

えみおわすの空間にいると ああそうだったかもしれないなと

そのうえでもう一度、いま一度問いてはいけないのです。

誰がために鐘は鳴るやと
      そは汝がために鳴るなれば と。