ボクが初めて購入した写真集といえばジャックアンリ・ラルティーグ。
ドアノーの写真も嫌いではなく写真集によっては好みのものもある。
この極めて同じ時代の偉大なるフランスの写真家はベクトルは平行線且つ斜方向である。
6年前だろうか?以前、富山の砺波市美術館で、常設展示としてラルティーグとドアノー 写真展が開催された。
天才的アマチュア写真家として知られるラルティーグと世界でもっとも愛されている写真家の一人、ロベール・ドアノーの作品をあえて同時に展示するという異例の試みだった。
ラルティーグ と ドアノー
この二人の数奇な出会いはとある写真から知れた。
場所はパリのグラン・パレで行われていた長期にわたるラルティーグ回顧展(1988)。
写真は疾走するバイクにカメラを向けていて当然、この手の映像に食指が動くラルティーグがそこにいないわけがなかった。彼が捉えた写真。
多数のカメラマンが同時にファインダーをのぞいていたわけであるが
一人の青年が何故かラルティーグのほうに目を向けた。
その青年こそ、ドアノーであったのである。
おそらく互いに知れてないし、その後の交流も定かではないが偶然がもたらした数奇な接点。
今も彼らは接点があるようなないような関係を続けているに違いない。
もうずいぶん前に同じ視点で記載した記録がある。
初めてのオートモービル
空を飛ぶ冒険
まだヒトが夢を見てた頃
(大貫妙子「Jacques-Henri Lartigue」)
ドアノーその人を写した写真を見たことがある。
写真家ジャック=アンリ・ラルティーグの作品がそれだ。
これは、1988年に、パリのグラン・パレで行われていた長期にわたるラルティーグ回顧展で目にしたものなのだが、残念ながら私の持っていたフォトポッシュ版のコンパクトな写真集には収められていないし、その後手に取った2、3冊のラルティーグ写真集にも載っていなかった。
もしかしたら、その回顧展においてが初公開のものだったのかもしれないし、もっと大規模な写真集には収められているものかもしれないが、まあ、それもどうでもいい。
何しろ、ラルティーグが初めてその名を知られたのが1963年の「ライフ」誌の特集。本格的な写真集は、リチャード・アヴェドンの編集によるものがようやく1970年に出たという程度なのだから、未公開の写真はいくらでもあるはず。
その、ドアノーを撮った写真というのは、はっきりとは記憶していないが、サン・ジェルマン・デ・プレあたりらしい街の通りで、疾走するオートバイにカメラを向けている数人のカメラマンがいて、そのうちのひとりが、ふとファインダーから目を離して、こちら、つまりラルティーグの方を見ているのだが、それがどうも若き日のドアノーだというのだ。数人いるカメラマンというのが誰なのかは解説にも出ていなかったが、もしかしら、アマチュア・カメラマンなのかもしれないし、新聞社か雑誌社のカメラマンなのかもしれない。なにしろ、あくまでラルティーグが狙った被写体は疾走するオートバイなわけで、数人のカメラマンはたまたまフィルムに収まったに過ぎない。
とにかく、その中の、ドアノーだけがラルティーグのカメラに気づき、顔を向けたというわけだろう。ドアノーが見ているものが、ラルティーグそのひとなのか、それとも彼が構えているカメラなのかは定かではない。当然、ラルティーグは、ドアノーのことなど何も知らずにシャッターを切ったに違いない。
撮影年代はうろ覚えだが、確か1930年代だったと思うから、1912年生まれのドアノーはまだ20代、おそらくはルノーの工場の広告カメラマンとして働いていた頃のことだろう。
ラルティーグは、アマチュアリズムにあふれた写真家だった。
彼が捉えたものは、時代のダイナミズムの中で躍動するフランスの風景。
ファインダーの中を、自動車が駆け抜ける。グライダーが空を舞う。コート・ダジュールの海岸で波が激しく飛沫を上げる。子供が、男と女が、そして犬が、時間を忘れて遊び回る。私たちが写真を通して体験しているのは、奔放に動き回るラルティーグの視線そのものである。
ラルティーグの写真を見る時は、じっくりと眺めるだけでなく、例えば、あえて流れ作業のように次々と作品を眺めてゆくのも面白い。写真集ではそんなことは出来ないが、展覧会ならそれも可能だろう。一カ所に足を止めることなく、写真からほんの少し距離をとって歩いてみればいい。気がつくと、私たちもラルティーグの目になって、疾走する自動車やグライダーの動きを追っていたりする。おそらくラルティーグがそうだったように、私たちの心も躍り出すのだ。それは、ラルティーグの好奇心を追体験することでもある。ベル・エポックのスピード感が甦ってくる。
ラルティーグがこの世を去ったのは、実はこの回顧展の2年ほど前、つまり1986年であった。92歳という長い生涯であったとはいえ、このディレッタントが、つい20年ほど前まで生きていたとはちょっとした驚きである。ラルティーグといえば、ベル・エポックを生きた幸福な写真家、という思いこみがあったのだ。
実際、ラルティーグは、生活のためでなく、まったくの趣味として写真を撮り続けた。好奇心のおもむくままにシャッターを切るという、実に優雅な生き方をしてきた写真家であった。
ドアノーの写真も嫌いではなく写真集によっては好みのものもある。
この極めて同じ時代の偉大なるフランスの写真家はベクトルは平行線且つ斜方向である。
6年前だろうか?以前、富山の砺波市美術館で、常設展示としてラルティーグとドアノー 写真展が開催された。
天才的アマチュア写真家として知られるラルティーグと世界でもっとも愛されている写真家の一人、ロベール・ドアノーの作品をあえて同時に展示するという異例の試みだった。
ラルティーグ と ドアノー
この二人の数奇な出会いはとある写真から知れた。
場所はパリのグラン・パレで行われていた長期にわたるラルティーグ回顧展(1988)。
写真は疾走するバイクにカメラを向けていて当然、この手の映像に食指が動くラルティーグがそこにいないわけがなかった。彼が捉えた写真。
多数のカメラマンが同時にファインダーをのぞいていたわけであるが
一人の青年が何故かラルティーグのほうに目を向けた。
その青年こそ、ドアノーであったのである。
おそらく互いに知れてないし、その後の交流も定かではないが偶然がもたらした数奇な接点。
今も彼らは接点があるようなないような関係を続けているに違いない。
もうずいぶん前に同じ視点で記載した記録がある。
初めてのオートモービル
空を飛ぶ冒険
まだヒトが夢を見てた頃
(大貫妙子「Jacques-Henri Lartigue」)
ドアノーその人を写した写真を見たことがある。
写真家ジャック=アンリ・ラルティーグの作品がそれだ。
これは、1988年に、パリのグラン・パレで行われていた長期にわたるラルティーグ回顧展で目にしたものなのだが、残念ながら私の持っていたフォトポッシュ版のコンパクトな写真集には収められていないし、その後手に取った2、3冊のラルティーグ写真集にも載っていなかった。
もしかしたら、その回顧展においてが初公開のものだったのかもしれないし、もっと大規模な写真集には収められているものかもしれないが、まあ、それもどうでもいい。
何しろ、ラルティーグが初めてその名を知られたのが1963年の「ライフ」誌の特集。本格的な写真集は、リチャード・アヴェドンの編集によるものがようやく1970年に出たという程度なのだから、未公開の写真はいくらでもあるはず。
その、ドアノーを撮った写真というのは、はっきりとは記憶していないが、サン・ジェルマン・デ・プレあたりらしい街の通りで、疾走するオートバイにカメラを向けている数人のカメラマンがいて、そのうちのひとりが、ふとファインダーから目を離して、こちら、つまりラルティーグの方を見ているのだが、それがどうも若き日のドアノーだというのだ。数人いるカメラマンというのが誰なのかは解説にも出ていなかったが、もしかしら、アマチュア・カメラマンなのかもしれないし、新聞社か雑誌社のカメラマンなのかもしれない。なにしろ、あくまでラルティーグが狙った被写体は疾走するオートバイなわけで、数人のカメラマンはたまたまフィルムに収まったに過ぎない。
とにかく、その中の、ドアノーだけがラルティーグのカメラに気づき、顔を向けたというわけだろう。ドアノーが見ているものが、ラルティーグそのひとなのか、それとも彼が構えているカメラなのかは定かではない。当然、ラルティーグは、ドアノーのことなど何も知らずにシャッターを切ったに違いない。
撮影年代はうろ覚えだが、確か1930年代だったと思うから、1912年生まれのドアノーはまだ20代、おそらくはルノーの工場の広告カメラマンとして働いていた頃のことだろう。
ラルティーグは、アマチュアリズムにあふれた写真家だった。
彼が捉えたものは、時代のダイナミズムの中で躍動するフランスの風景。
ファインダーの中を、自動車が駆け抜ける。グライダーが空を舞う。コート・ダジュールの海岸で波が激しく飛沫を上げる。子供が、男と女が、そして犬が、時間を忘れて遊び回る。私たちが写真を通して体験しているのは、奔放に動き回るラルティーグの視線そのものである。
ラルティーグの写真を見る時は、じっくりと眺めるだけでなく、例えば、あえて流れ作業のように次々と作品を眺めてゆくのも面白い。写真集ではそんなことは出来ないが、展覧会ならそれも可能だろう。一カ所に足を止めることなく、写真からほんの少し距離をとって歩いてみればいい。気がつくと、私たちもラルティーグの目になって、疾走する自動車やグライダーの動きを追っていたりする。おそらくラルティーグがそうだったように、私たちの心も躍り出すのだ。それは、ラルティーグの好奇心を追体験することでもある。ベル・エポックのスピード感が甦ってくる。
ラルティーグがこの世を去ったのは、実はこの回顧展の2年ほど前、つまり1986年であった。92歳という長い生涯であったとはいえ、このディレッタントが、つい20年ほど前まで生きていたとはちょっとした驚きである。ラルティーグといえば、ベル・エポックを生きた幸福な写真家、という思いこみがあったのだ。
実際、ラルティーグは、生活のためでなく、まったくの趣味として写真を撮り続けた。好奇心のおもむくままにシャッターを切るという、実に優雅な生き方をしてきた写真家であった。