身の丈の庭ってなんなのでしょうか
庭のデザインに触れて早17年近くが立ちます
自分が最初にデザインした庭を考えるとふとウィリアムモリスの言葉が浮かびます。
「 大きくても小さくても秩序正しくなおかつ豊かでなくてはならないのです。外界から上手に囲われていなければなりません。かならず、「自然」のわがままか荒々しさのどちらかを模倣するべきなのです。」
僕の考えた庭のモデルはとても窮屈で圧迫感が見られる印象でありまして実は年数を経て嫌悪感を感じていたのです。ただこのようなモリスの言葉に触れると不思議と
「 もしかしてこの窮屈に見える閉所感はちょっとしたアイデアで劇的に変化をもたらすのでは?」と考え始めたのです。
我が家には棒樫で生垣がしてあり、正面向かって左には楠木(これはトトロにあこがれて植えたものでとてつもなく大きな木です。)、シンボルツリーとしてヤマモモが植えられ、ゲートから曲がりくねったパサージュに沿ってコノテヒバが秩序正しく迎えます。 古くからある井戸の近くにはアゼリアが植わっており、途中の生垣としてトネリコ、モチノキがあります。洋の庭にして日本に古くからある木、しかも広葉樹を満載にしているわけで季節の移ろいを感じるにはちょっと物足りない印象でありました。
何かここから変える、変えていくスパイスは何かと。
最初のスパイスは 「 グラス 」でした。
風にゆらゆら揺れるグラス。
ついつい脇役のイメージのグラス類ですが 「背丈」 「葉色」などをこだわれば独特のグラデーションを実現してグラスガーデンが誕生します。
庭のデザインに触れて早17年近くが立ちます
自分が最初にデザインした庭を考えるとふとウィリアムモリスの言葉が浮かびます。
「 大きくても小さくても秩序正しくなおかつ豊かでなくてはならないのです。外界から上手に囲われていなければなりません。かならず、「自然」のわがままか荒々しさのどちらかを模倣するべきなのです。」
僕の考えた庭のモデルはとても窮屈で圧迫感が見られる印象でありまして実は年数を経て嫌悪感を感じていたのです。ただこのようなモリスの言葉に触れると不思議と
「 もしかしてこの窮屈に見える閉所感はちょっとしたアイデアで劇的に変化をもたらすのでは?」と考え始めたのです。
我が家には棒樫で生垣がしてあり、正面向かって左には楠木(これはトトロにあこがれて植えたものでとてつもなく大きな木です。)、シンボルツリーとしてヤマモモが植えられ、ゲートから曲がりくねったパサージュに沿ってコノテヒバが秩序正しく迎えます。 古くからある井戸の近くにはアゼリアが植わっており、途中の生垣としてトネリコ、モチノキがあります。洋の庭にして日本に古くからある木、しかも広葉樹を満載にしているわけで季節の移ろいを感じるにはちょっと物足りない印象でありました。
何かここから変える、変えていくスパイスは何かと。
最初のスパイスは 「 グラス 」でした。
風にゆらゆら揺れるグラス。
ついつい脇役のイメージのグラス類ですが 「背丈」 「葉色」などをこだわれば独特のグラデーションを実現してグラスガーデンが誕生します。