レクサスの点検に出かけたのであるが
伊藤さんが退社したことを知った・・。

そういえば最近おみかけしていないなと思っていたところであり
伊藤さんのことが気になって出かけたといってもいい。

銀座桜ショップも同様である。
稲生さんに会いに行っていたと過言ではない。

観光ホテルに服部さんあり。

ブルックスも同様である。人に会いに行っているだけなのである。

商品は・・・実は二の次、三の次である。

えっと思われるかもしれない。今や商品はどこぞのネットで手に入る時代。
わざわざお店に買いに行く時代でもないという意での二の次である。

レクサスの伊藤さんといえば、それはそれは素晴らしい人物であった。
初めてお会いした時から、ずば抜けていた。

この方がいたからおそらくその店は日本一になったのであろうなと納得できる人物であった。
その店のラウンジはタキヒョーさんとのコラボで商品が展示してありまさに「 サロン 」であり「ギャラリー」
であったがその「顔」と言えるのが伊藤さんであったわけである。

キンダーブック中村マスターが突然いなくなってポツンとお店だけが残った時に痛切に感じたものであった。
お店は存在しても、その人の代わりはいかなる人でもできない。そういう人物であったと。

とかく名ショップには大人物ありとされるが
実はその逆なのかもしれない。

伊藤様 あらためて
諸事情で退社されたであろうが何とも惜しい・・。

と同時にいままで本当に心地よさを提供していただいてありがとうございました。

筆舌に尽くしがたい感謝の意を家族一同より


以下引用

 副マネージャーの伊藤明子いとうあきこさんは平成3年、キリックスグループに入社し、8年間、同グループの創業者であり社主の山口春三さんの秘書を務めた。その後、独立して日本経営協会の講師として活躍する。マナーや秘書業務を教えていたところへ、山口さんから声がかかった。
「今度、レクサスを立ち上げるんだが、戻ってこないか」  
 そして開業時から精鋭部隊の一人として参加することになった。  
 長く秘書の仕事をしてきて身体に染みついたこと。それは、「先回り」の心掛けだという。秘書は常に黒子。表に出る社主に「恥ずかしい」思いをさせてはならない。トップの人は、ただでさえ毎日忙しいスケジュールをこなしている。よけいな気遣いをさせないのが大切。そのため、常に言われる前に「先回り、先回り」して提案して動くのだという。
 例えば、お中元やお歳暮の時期になれば、
「○○様は、最近、お付き合いが深くなって参りましたので、手配をさせていただきましょうか」  
 と言われる前に準備してしまう。
「当たり前路線ではいけない。決まりきった形ではいけない。その向こうに何かがあると思うのです。人と同じことをしたくないという性格もあるかもしれませんね」  
 そんな伊藤さんの秘書スピリットは、レクサス星が丘でも大いに活かされることになる。
 レクサス星が丘では、圧倒的にファミリー層のお客様が多い。開業10年ともなると、オープン当時、ご両親に付いてこられたお子さんたちも成長する。彼らの名前を覚えていて「○○さん、こんにちは」と声を掛けるのも一つ。また、昔、アイスココアがお好きだったことを思い出し、さりげなく「どうぞ」とお出しする。
「え! 覚えていてくれたの」
 と驚いて喜んでくださる。本人はもちろん、ご両親はそれ以上に。

そう言う、気配りがマニュアルでも出来るものだが伊藤さんは、さらさらと自然に心地よく出来る稀有な方。

人徳の成せる業、今以てそう感じざるを得ません。