- 小学4年生まで紆余曲折であった自身。
3回目の担任の出会いがなかったら今思えばぞっとする。
5年生になってその担任の愛情でぐいぐいとやる気を引っ張られ自主勉強に入った。
と言っても普通に予習をするようになっただけである。
ただ家には学校の図書館並みに蔵書があったので片っ端から広げてノートにまとめていった。
そして色々な偉人について調べているとき、簡単な伝記では知りえなかった事実に驚愕することとなった。 その人は ナイチンゲール。 看護師としての業績が知られているわけだがまさか彼女の功績が看護師の看護で有名というよりも英国では統計学の母として有名であったこと。
看護しつつその看護を省察して「 見える化 」したグラフで統計で訴えたこと。
何よりそのグラフが当時の僕の脳にあまりにも刺激的だったこと。
バラのような蝙蝠の羽のような、鶏のとさかのようなグラフが今でも刺さっていて
デザインが素敵なことが僕がすきなところ
だからいまでも優秀な演題でもビジュアルにセンスがないと興味を覚えない
だって本当に優秀だったらデザインもがんばるでしょ
ぼくなりに担任や学年担任を巻き込んで 小学校の健康増進取り組み 当時の縄跳びや乾布摩擦などの取り組みと欠席数の違いを地域の小学校を比較して調査したことを中日新聞に取り上げられ担任からの様々な社会的福祉貢献点を過大に褒められ中日ブルーバード賞個人受賞という大賞を5年生で受賞。 ちょっと前まで通知表は最低ランクだったから ほっぺをつねりたくなる自己成長だったのだけど まさにナイチンゲール効果
自主勉強をもう一回がんばったのはサンフランシスコだっただろうな
早朝から二つの大学に通っていたのでUCSFとCCF 英語論文と手術と研究と・・・
11年ぶりに再訪したのはその自主勉強の原点と感謝を言いたかったから

一番勉強した図書館 何百、何千という論文を片っ端から読んで言えるように練習
でも楽しかった




久しぶりに再会した教授の白髪まじりの薄くなった頭に年月と無くなった髪以上の感謝を
まざまざと深々と感じてしまうのである

自らもちょっと前もそのひとくくり
言い訳をしたくないから人の教育を待っていられないのが道理だ
資本主義となってただで教えてもらえるのはよほどの手前の人徳がないと厳しいと思え
突き放すわけじゃないけど 自主勉強と自己成長がプロフェッショナルの基本
小学5年
ちょっと先に進みたいわけでもなく ちょっとかっこいいからでもなく勉強した
ただただ 自分に納得がいきたいから それが答えだったのか
サンフランシスコ
ただただがむしゃらに 勉強した
ただただ 知りたい自分を抑えられなかったから
自己成長を自主勉強を抑制することなんてできない 誰にさえも何でさえもね
自己成長の炎を消すことなんて 何であれできないよね
あるとしたら ひょっとして 自分なんじゃない!?
お金がかかる? 多忙? 時間がない? 必要性ない? 意味がない?
言い訳言っているひと ごろごろいるけど
言い訳言っているは もうこの際 どうだっていいじゃない
じかんのむだだよ
世界中で自己成長しているひとたちって
一番お金がなかったり 一番不遇だったり
一番時間がなかったり 多忙だったりってひとばかり
そんなこと
知ってた ?
結局
自分を抑制しているのって 自分!!!!!だってこと
人間は自己成長できるひと 力を与える人
自己成長できないひと 力を与えない人
結局 いずれかのどちらかだろう
言い訳言って いつまでもやらない人の 話を聞く暇はないな 先に行くよ じゃね

こんど生まれ変わったら もう声掛けさえもしないからね
まあ それを言っても来世 あなたはぼくの存在さえ気づかないだろうね
存在に気づく配慮は すでに備わっているとは到底おもえないからね
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