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先日 福岡のとあるお店にて出会った多々納弘光さんの出西窯を今日は朝の博多便で一気に読み切った。 この書は陳列棚の愛用する出西窯マグカップの奥に立てかけてあった

何度も何度も感慨して何度も声を出して笑った。

登場する河井寛次郎、浜田庄司、柳宗悦、バーナードリーチさんらが生き生きと描かれており
もう目の前にいるかのような錯覚に陥った

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無題
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読み終わったその瞬間に感動を伝えたくて
先ほどもついつい興奮して鳥取のたくみ工芸に電話してしまいました。 民藝プロデューサー、吉田璋也先生のいまはお孫さんが館長をされているようですが いてもたってもいられないそんな感動があったのです。

多々納弘光さんが、この出西窯を設立するには多くの出会いがあったようですが
そのきっかけとなったのが師の徳永先生がぶらりお持ちになった
柳宗悦先生の書「私の念願」と浜田庄司さんの土瓶だったようです。

柳宗悦さんは多々納弘光さんにとって審美眼を有した哲学者・思想家

質・量ともに空前絶後の美の創見を成就された仏の化身

柳先生が晩年の心詩の中に

「見テ知リソ 知リテナ見ソ 」があります。

多々納弘光さんや五木寛之さんはじめ今なお多くの見識を有した文化人の
胸に刺さる希代の名詩だと思います

あえて柳先生が説明をした言葉を拝借するのなら

「見るとは直観のことであり、知とは知識・概念のこと。」として

「概念から直観を得ようとしても無駄であり、知識はすべてを限定して見えなくするぞ」
と警鐘を込めて説いています。



ああだこうだという説明・うんちく・歴史・由来・出自などが芸術をみるときに

すべて無駄だとはおもいませんが

少なくとも 直観派の自身としては
 直観のみを大切に
生きてきた身ですので肯定されて胸をなでおろしたものです。

ただただ見ること 感じることをまず大切にしてきた民藝の主導を担った柳先生のことばは
浜田庄司さんやバーナードリーチ、河井寛次郎さんらの作品を見ればおのずと感じられます

そして名もなき用の美のマグカップや皿 出西窯にもおなじことを直観せざるをえないのです

だから 朝 毎日に目にしている一日のスタートだけでも 
この出西窯のマグカップからスタートするささやかなしあわせは
じぶんの直観を そして感覚をいつもいつも安心安堵させてくれているのでしょう


柳先生のこの名詩

「見テ知リソ 知リテナ見ソ 」
は書として VOITUREに掛けておきたく 常に探しておるのですが
いまだに発見にたどり着きません。

この晩年の言葉にたどり着くもととなった 
心詩を 芹沢啓介さんが丹精込めて型染したものが
あります。こちらです。

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「 知らば見えじ  見ずば知らじ 」

この心詩は やはり 知識・概念に依存しようした人たちへの警鐘でもあり 見ようとしないこと直観を大切にしないことへの警鐘でもあります。

「 知識を得れば本質が見えなくなり 見ようとしなければ本質を知ることこともない 」
よって

「ただただ見よ」と説いているようです。

あくまで個人的主観・いわば直観ですが
晩年の柳先生は数年半身まひを患っておられましたが、その闘病の渦中で

「見テ知リソ 知リテナ見ソ 」にたどり着いたのではと感じます
ますまず心の眼でみえるようになったとも述べています。

そういう意味で 柳先生と柳先生を生涯の師と仰いだ芦原先生の合作である

「 知らば見えじ  見ずば知らじ 」

この詩を 私は VOITURE の 真ん中の根幹として飾ろうと決意しました。