
パリに向かう飛行機を待つアテネの空港です。
「 Voiture A 」が創業した1883年のその頃ってどんな様子だったのでしょうか?
「 そうですね。 すべてが大きく変革しようとした時代ともいえますね。
大きくとらえれば王宮、宮廷 、貴族の権威が徐々に低下、一部には没落していった時代。
経済面では手工業から工業産業に移行した時代。
旅客・運搬面では馬車一辺倒、船一辺倒の時代から鉄道が主体となった時代。
食文化では没落した貴族の家から料理人が出ていってどんどんレストランを開業してオーギュスト・エスコフィエなどの天才料理人などの出現も象徴的です。
芸術面ではウィリアムモリスが生活芸術を大成させて1883年には「いちご泥棒」を発表していますしね。印象派が生まれたのはこのころで あの クロードモネがジヴェルニーの地に転居して印象派文化を大成させたのは1883年同じ年なのです。」
「 エスコフィエ?って あのレストランの名前は料理人だったのですか?」
「 いまの人たちは知らない人も多いですよね。 銀座や名古屋など 世界中でレストランやBARなどで採用されているエスコフィエの名はフランス料理界のレジェンドにして創始者の所縁です。
またさらに知られていない事実は、彼が当時のセザールリッツとともにホテル開業に貢献した事実。」
「そういえば二人はエスコフィエレストランで披露宴をしたのもそれ由縁だった?!!! 当時は ホテルとレストランというのは経営上 強固な絆だったのですね? 」
「 いわば最高のレストランを有するのがホテルというわけだったのです。 帝国ホテルにレセゾンがあるようにね。 」
「 今じゃ当たり前すぎて さらに今のホテルにはスタバなんかが入ったりしてその文化は壊れていますね 」
「 ウィー! 残念ながら。でも 立派なホテルには素晴らしいレストランとともにあることは 例えば プラザアテネパリに アラン・デュカスがあるように此処パリでは今も残っている 」
「 さらに1883年当時に たくさんのレストランが生まれた背景には鉄道の発達が大きかった。
たくさんの素晴らしい地方の食材が輸送可能になった。その象徴は オリエント急行が生まれたのも同じ1883年だったことも偶然ではない。 実際にその列車には美食が供される食堂車がすでにあったのですからね 」
「 それなら美食という点では食材店もパリにあったのですか 」
「 セボン!!! いい指摘です! パリに食材のセレクトショップが生まれたのもこの頃。 例えば日本で紅茶やパンで有名なフォーションもこの頃 高級食材のセレクトショップとして創業している。 」
「 そのあと、 思うように最高の食材が集まらなかったこともあり 自分たちで作り出して今のフォーションがあるというわけですね! 」
「 それで 今回は フォーションロテル(ホテル) に宿泊するというくだりに 」
「セボン!!!長ーい 前置きだったのですが その歴史の始まり 食材店がホテル業を創業した由縁を探りに宿泊を決めたわけなのです 1883年から脈々とつながる 長ーい話ですが つながる縁のある話 」
オート、ウプス!
いけない、いけない Paris行きの飛行機の搭乗手続きが始まっている!!!
もう行かなくては?
アンシャンテ! (またあとで)・・・
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