一流な方々や 名匠である方々を観るにつけ
わたくしは
目的や手段が くっきりしている方々だなと感心させられます。
これは 政治でもそうですし
音楽でもそうですし
スポーツでもそうですし
アーティストでもそうですし
医療者でもそうです。
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さて
一流に共通していること
確固たる「 目的 」が 恒常的に魂に作品に宿っているということです。
そして その「 目的 」の達成のために
明瞭な 「 手段 」が考え抜かれているということです。
当然ながら「手段」においては 各界の一流人において 流転や流動的なものも往々にしてあります。
ただ それでも 確固たる信念に裏打ちされた 崇高な 「目的」は 揺るぎがないのであります。
下世話な方は 一流の方々様にさえも 批判的になるでしょう。
いや去年はこんな風にやっていたのに 今年はこんな風にやって! 移り気だと、
いえいえ その 「目的」は一切変わってはいないのです。
その「 目的 」を達成するために より最適な より最善な「手段」を変えたのであります。
これは 外科医でも芸術家でも 一流なら おなじようにみられる共通項プロセスなのであります。
◆確固たる 崇高な「目的」
それを実現するための
◆明瞭な「手段」
この両者の関係性は
手段から 目的が何なんのか 伝わる!ものであり
目的をいわずとも 手段だけで十分 目的を伝えるものであるということなのです
わたくしは 技術論などはどうでもいいと感じてしまう性質です。
俗に ゴルフなら 100以上のマニュアルを用意して
スイングするまでに何十ものチェックポイントがあるなんていう几帳面な方がいると言いますが
ちゃんちゃらおかしいとも思います。
こんなに手段を用意しては いつのまにか 手段にしばられて
手段に埋もれてしまい 「手段の目的化」現象で 沈没してしまいます。
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手段はあくまで 手段であり シンプルである必要があります。
一方、手段はあくまで手段でありますが 一つとも限りません。
ただし いくつもいくつも用意しては 目的がぼやけます。
ゆえに
確固たる「 目的 」を概念で描き
もっともそれを実現する 最小限の明瞭なシンプル「手段」を見出すことが
優先されるのではないでしょうか
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ジョージナカシマの場合
目的: 木に新たな命を与えて木魂を吹き込むため
手段: ブックマッチ 梁構造 木のありのままの姿 トラス構造
河井寛次郎の場合
目的: 土から まだ見ぬ自分を 掘り起こし 驚いている自分に驚くため
手段:筒描 泥刷毛目 羽織扁壺
篠田桃紅の場合
目的:その日 その日 風にまかせて生きている 目標はもったことがない
ただ昨日よりもっといい線を描くため
手段:性の無い筆 字からの脱却 抽象
これだけ読んでも 凡人には伝わりにくいことでしょう
これを何十年もゆるぎなく 生涯にわたり高みを目指し続けた
この哲学性さえも感じさせる 非凡な精進が 高潔であるということ
さらにその哲学性は かれらは何ら飾らない人柄であり勝手にわれわれが感じたものということだ
おそらく彼らは口をそろえていうだろう
手段と目的さえも考えたことなどないと
これさえも われわれが 勝手に感じたものなのであろう
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