誕生日はいつものようにやってきました。
こういうご時世だから
ぼくが もし何かがあったら・・・と言うと
ユリさんも続けて ・・・と言います。
アノンさんは 「 まだ10年しか生きていないから、もっともっともっと生きたい 」
と辞世の句は読みませんでした
でもこうやって 誕生日という祝いは
毎日毎日祝いであるわけで
節目として意義あるもの 特に幼い子供では。
いつものように近所のどこにでもありそうなケーキ屋さんで
いつものように 心に留まった何かを描いてもらってご満悦です。
いつもと違うのは従弟たちと合同でやる誕生パーティーが無くなったことぐらい




偶然にして トワイスオンラインショップからオーダー商品が届きすっかり
バースデーウィーク気分。
毎日のおねだりですが お風呂を一緒に入りなさいと娘からの命令です。
言ってもらえるだけ贅沢の極みでしょうと言いますが
ぼくとしては奉公している気分で お風呂でこってりしぼられます。
大体の議題は 「 どうやって小遣いポイントを稼ぐか 」とか
「 今後のトワイスグッズの動向 」とか
「 トワイスグッズの何を選ぶべきか 」
国会の議題よりもぎゅうぎゅう詰めで 相手は百戦錬磨
簡単にお風呂から出させてはもらえません
物まね大会などは アノンさんの十八番で 最近は 安倍総理大臣の物まねを得意がります
▼
友人からも祝福メールが来ました。
彩杏ちゃんへ

アノンちゃん10才のおたんじょうびおめでとう。
学校、お休みで大変かな??。
元気なアノンちゃんは毎日どうやって過ごしているのかな?
今年はアノンちゃんと、またタコ焼きパーティーをしたかったな〜。
残念だけど、あきらめました。コロナっていう変な、ばい菌が大阪にはたくさんいます。やぶちゃんも、毎日お熱の子をみているのでコロナばい菌にかかっているかもしれません。アノンちゃんには会いたいけれど変なばい菌さんがいなくなったらにしましょうね。
そーまんからの昔のメールみなおしたら、4月13日4時13分生まれだったね。
あのんちゃんにとっては413は特別な数字ですね。そーまんからもらった写真だけど
見てね。生後1日目?天使さんですね。
10才になったアノンちゃん、手あらいだけはがんばってね。
しばらくは大好きな本をいっぱい読んで、楽しんでね。
はやく学校が始まることを祈っています。
やぶちゃんより
▼
大阪箕面の小児科院長です。スウェーデンハウスのお城を建てているからアノンさんも今年は行くぞと張り切っていましたがちょっとお預けとなりました。
10年前の今日を思い出します。
>
外は風の強い竜巻でも起こりそうな気配 竜神でもいそうなほど横殴りの雨が窓を打ち付けて
ゴォー、ゴォーとうなり上げたその時でした
「ウンギャー、うん、ウンギャッヤー・・・」
4月13日夕方4時13分手術室隣の部屋で待つ僕は産声を聞いて安堵のため息を漏らした。
▼
話は一日前に遡る。「病院に電話するね。」
アフラック(ユリ)が弱音を吐いて朝8時にN原クリニックに電話。この日は朝3時から陣痛のため起きておりかなり敏感になっていた。
病院に到着して陣痛を測定。5〜10分になっている。入院を決めたが陣痛が強くなっても子宮口が開かない。24時間経過しても5分程度の陣痛が続き、現状が変わらない。ついに日付が変わる。朝になりレントゲン撮影。児頭骨盤不均衡で回旋が不足して垂直に入ってきているために上手くお産につながっていないことが判明。普通分娩トライを続けるべきか否か。
30時間は経過しており「帝王切開」の決断をした。
▼
麻酔科医師の到着を待っていた。早めに到着していたこともあり3時20分に手術室に呼ばれ入室へ。そして僕はじっと隣室で待った。
予感はあった・・・。
しかしアフラックには云わなかった。
意外に出血のリスクが高いのではということを。
▼
手術室と僕が待機している部屋は廊下を隔てたのみ。そこには2枚のスライド式ドアがあるだけだった。気になれば手術室のドア越しに耳を澄ますことはできた。
ぼくにとって二枚のドアは
「どうにもならないもの」
を聴きたくない手段であり
「どうしても聴きたい」
命の序章だけを聴くには十分な手段であったのだ。
果たして・・・産声を聴いてから5分後
「おめでとうございます。女のお子様ですよ。」
局所麻酔で行うはずだが効き目が悪く静脈麻酔追加のため私が最初に会うこととなった。
感動的な対面を予想していたが・・・
わが子の意外な小ささと生命の不可思議さに驚嘆していたというほうが正直かもしれない。
大いなる命と大いなるオーラに驚愕していた。
遅れること20分、アフラックが麻酔覚めやらぬ様子でベッド搬送され帰室した。
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大阪箕面の小児科院長です。スウェーデンハウスのお城を建てているからアノンさんも今年は行くぞと張り切っていましたがちょっとお預けとなりました。
10年前の今日を思い出します。
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外は風の強い竜巻でも起こりそうな気配 竜神でもいそうなほど横殴りの雨が窓を打ち付けて
ゴォー、ゴォーとうなり上げたその時でした
「ウンギャー、うん、ウンギャッヤー・・・」
4月13日夕方4時13分手術室隣の部屋で待つ僕は産声を聞いて安堵のため息を漏らした。
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話は一日前に遡る。「病院に電話するね。」
アフラック(ユリ)が弱音を吐いて朝8時にN原クリニックに電話。この日は朝3時から陣痛のため起きておりかなり敏感になっていた。
病院に到着して陣痛を測定。5〜10分になっている。入院を決めたが陣痛が強くなっても子宮口が開かない。24時間経過しても5分程度の陣痛が続き、現状が変わらない。ついに日付が変わる。朝になりレントゲン撮影。児頭骨盤不均衡で回旋が不足して垂直に入ってきているために上手くお産につながっていないことが判明。普通分娩トライを続けるべきか否か。
30時間は経過しており「帝王切開」の決断をした。
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麻酔科医師の到着を待っていた。早めに到着していたこともあり3時20分に手術室に呼ばれ入室へ。そして僕はじっと隣室で待った。
予感はあった・・・。
しかしアフラックには云わなかった。
意外に出血のリスクが高いのではということを。
▼
手術室と僕が待機している部屋は廊下を隔てたのみ。そこには2枚のスライド式ドアがあるだけだった。気になれば手術室のドア越しに耳を澄ますことはできた。
ぼくにとって二枚のドアは
「どうにもならないもの」
を聴きたくない手段であり
「どうしても聴きたい」
命の序章だけを聴くには十分な手段であったのだ。
果たして・・・産声を聴いてから5分後
「おめでとうございます。女のお子様ですよ。」
局所麻酔で行うはずだが効き目が悪く静脈麻酔追加のため私が最初に会うこととなった。
感動的な対面を予想していたが・・・
わが子の意外な小ささと生命の不可思議さに驚嘆していたというほうが正直かもしれない。
大いなる命と大いなるオーラに驚愕していた。
遅れること20分、アフラックが麻酔覚めやらぬ様子でベッド搬送され帰室した。
ANON、我が家の家族が一人、偉大なる生命が誕生した瞬間であった。
4月13日4時13分
私たちは 何処にいようと 毎年 強い風を 顔・体に感じています。
今年も・・・・あの風は・・・やってきました。
4月13日4時13分
私たちは 何処にいようと 毎年 強い風を 顔・体に感じています。
今年も・・・・あの風は・・・やってきました。
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