グーグルで 高級と検索すると
ずらりならぶ文字。
まず第一が 高級食パン だ。2年前のムーブメントに乗ってこんな店頭売れないご時世も好調のようだ。
続いて 高級車、 高級チョコレート 高級時計 高級マスク 高級老人ホームの順次だ。
昨日は 偶然 通りかかった 名古屋の高級食パンでパンを一斤購入した。
おもわず
低級食パンはないのですか?
中級食パンは入荷しますか?
という質問はユリさんアノンさんの手前難しい。
大体800円から1000円で販売されることの多いこの高級食パン。何店舗かの違う種類を食べたがどれも似た芳醇で甘くふんわりとした食パン。おいしいといえばおいしい。 がだからと言って 格別にどれも似た味だなという。
どこにでもある味という言葉があるが 高級食パンはすでに格別でもなければ唯一無二の存在でもなく一般的な味だと思える。 それでも街には 今日もどこかで高級食パンがオープンしているという。決まって看板には高級食パン。 恥ずかしい、こっちが赤面する言葉だ。
だって高級レストランに高級レストランとは書かないし 高級ホテルにだって高級ホテルとは書かない。
どこかに気恥ずかしさがある日本の美徳文化の表れだと信じていたけど
突然 どうどうと 高級食パン 決まって 看板は明朝体が多い。
▼
こうなると 改めてスーパーに販売している食パンも吟味してみたくなる。 なかなかおいしい。 これは20年前と思うと格段においしくなっているし 最近の食パンブームでベース底上げがあったのは間違いない。
こっちは 庶民の大衆食パンとでもいうのであろうか。 意外とそういうロゴで 大衆食パン 売れ線なのではとついついマーケティングまで突っ込みたくなる。
さて ここへ来て この高級と大衆の狭間の論争がうるさい。
例の 一律給付の話だそうだ。
要は 低所得の大衆か 高給の除外か はたまた全部ひっくるめての一律給付からしい。
この誌面で誰よりも先に 一律給付が最初の一歩と明言したのだから
簡単に答えたい。
これは 一律では無いのです。
それでも一律としたのは国民感情に一律配慮したものである。
なぜ一律ではないのか。
住民台帳に載っているすべての国民に。
この財源は何か 税金のみである。
国民は納税が義務であるが実際はそうではない。
つまり一律手当と魔法の言葉を使ったが(これを推奨するが)
しっかり納税している人にとっては 単なる減税処置であり手当ではない。
納税額が少ないまたは全くない人は 純粋な手当だ。
税金を多く払った人には10万円分今回は戻します。
税金を払ってない人は10万円新たに渡します。
実はここに一律平等性はないのだがこれにより
所得が多い人は減税で 少ない人は 手当となり しっかり所得勾配に応じた対応というマジックになる。
だから こんな簡単なことはない、 一律しかないと 誌面に誰よりも早く掲載したまでだ。
▼
ひとは 見栄を張るとき高級という言葉で違う自分を装い
ひとは 人気取りに大衆という言葉で提灯を下げ
ひとは 民主的に物事を進めようと一律・平等の看板を立てる
高級 とか 一律とか 大衆とか 行ったり来たりの人ばかりのようだ。
ずらりならぶ文字。
まず第一が 高級食パン だ。2年前のムーブメントに乗ってこんな店頭売れないご時世も好調のようだ。
続いて 高級車、 高級チョコレート 高級時計 高級マスク 高級老人ホームの順次だ。
昨日は 偶然 通りかかった 名古屋の高級食パンでパンを一斤購入した。
おもわず
低級食パンはないのですか?
中級食パンは入荷しますか?
という質問はユリさんアノンさんの手前難しい。
大体800円から1000円で販売されることの多いこの高級食パン。何店舗かの違う種類を食べたがどれも似た芳醇で甘くふんわりとした食パン。おいしいといえばおいしい。 がだからと言って 格別にどれも似た味だなという。
どこにでもある味という言葉があるが 高級食パンはすでに格別でもなければ唯一無二の存在でもなく一般的な味だと思える。 それでも街には 今日もどこかで高級食パンがオープンしているという。決まって看板には高級食パン。 恥ずかしい、こっちが赤面する言葉だ。
だって高級レストランに高級レストランとは書かないし 高級ホテルにだって高級ホテルとは書かない。
どこかに気恥ずかしさがある日本の美徳文化の表れだと信じていたけど
突然 どうどうと 高級食パン 決まって 看板は明朝体が多い。
▼
こうなると 改めてスーパーに販売している食パンも吟味してみたくなる。 なかなかおいしい。 これは20年前と思うと格段においしくなっているし 最近の食パンブームでベース底上げがあったのは間違いない。
こっちは 庶民の大衆食パンとでもいうのであろうか。 意外とそういうロゴで 大衆食パン 売れ線なのではとついついマーケティングまで突っ込みたくなる。
さて ここへ来て この高級と大衆の狭間の論争がうるさい。
例の 一律給付の話だそうだ。
要は 低所得の大衆か 高給の除外か はたまた全部ひっくるめての一律給付からしい。
この誌面で誰よりも先に 一律給付が最初の一歩と明言したのだから
簡単に答えたい。
これは 一律では無いのです。
それでも一律としたのは国民感情に一律配慮したものである。
なぜ一律ではないのか。
住民台帳に載っているすべての国民に。
この財源は何か 税金のみである。
国民は納税が義務であるが実際はそうではない。
つまり一律手当と魔法の言葉を使ったが(これを推奨するが)
しっかり納税している人にとっては 単なる減税処置であり手当ではない。
納税額が少ないまたは全くない人は 純粋な手当だ。
税金を多く払った人には10万円分今回は戻します。
税金を払ってない人は10万円新たに渡します。
実はここに一律平等性はないのだがこれにより
所得が多い人は減税で 少ない人は 手当となり しっかり所得勾配に応じた対応というマジックになる。
だから こんな簡単なことはない、 一律しかないと 誌面に誰よりも早く掲載したまでだ。
▼
ひとは 見栄を張るとき高級という言葉で違う自分を装い
ひとは 人気取りに大衆という言葉で提灯を下げ
ひとは 民主的に物事を進めようと一律・平等の看板を立てる
高級 とか 一律とか 大衆とか 行ったり来たりの人ばかりのようだ。
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