おぼろげとはよく言ったものだ。
はっきりしてないと気が済まない性格にはさぞつらいことだろう。
自分なんかにはそんなこと一切言える立場でもないことは
友人らがひとくくりにして言う「 いい加減 」さでわかろうもんだ。

ただ 面白いことに 自分では分かっていても
いい加減 、てきとうなんて 人から評されるのは好まないんだから人間ってのは難しい。

難しいってのは、てめえ次第だろうって その通り その点では気難しい。


おぼろげで大体いいよ、ってどこからの天然パーマの俳優が
「 大体旨い 」ってCMがやってたような気がする
この記憶自体が すでに おぼろげだ。

おぼろげは そのもの自体の印影のおぼろげと 受け手側の感性のかねあいでのおぼろげとそれぞれもしくは その両方で構成されるものではないか。

極論、認知症のご老人に証言を訊けば すべてがおぼろげだろう。

ただ ひとたび しっかり他の人から 裏を取っていけば
おぼろげの中にもしっかりした くっきりとした真実があるってことぐらいはよくよく
あることでしょう!

これは おぼろげの中の くっきりなんてことになる。

でも やっぱり おぼろげをさらに頭にある顕微鏡でぐいっとズームアップにしても
結局 おぼろげだった、ってことだってある。
だれもが記憶がぼやけてきたSTAP細胞なんてのは
おぼろげの中の やっぱりおぼろげだったんだろう。
小保方さんには失礼かもしれませんな。 STAP細胞はありますってね


みんなみんな くっきり ぱっちしなんていったら人生や生活 

めっちゃクリアーじゃん”って喜ぶひとやそのほうが心地よいって思えても
だんだん しだいに その明瞭さから えいいやって 逃亡したくなるもんだ。

分かりすぎたら 完全にわかっていたら 人生はおもしろくなんて絶対なくなるんだから。
読む推理小説 買うミステリー ことごとく読む前に全部わかっていたら
興覚めでしょう!!

スジは おぼろげにしておかなくちゃね。

この朧気のなかの おぼろげを フランス語でこの題名と訳されます。

もうろうとしたぼやけた靄みたいな誌面でも
読み手如何では くっきりすることもたまにはあるでしょう
つまり他人任せ 読み手依存の誌面とあいなるわけでございます。

さてさて 新たな章が はじまり はじまり