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ばかみたいに晴れた青空だった

とある姉の(笑)の結婚披露宴を

とある料亭にてお忍びで行ったときのことだ。

姉の義父が ぼくらのところへやってきてこう云ったのだ。

「 もうこれで 姉さんは55億円の資産をもらったんだよ 」

下世話で下品でこの上ない言葉を吐かれた 母も僕もだまってはない

「 それっぽちのお金でどうこうなる 家と思ってらしてそういったのであれば見当違い甚だしい。」

「 わたしたちの娘、彼の姉に対する思いは それっぽちの額面ではびくともしません。相手がどうであるかだけです。 逆にいえば どんな父・母であろうとかまいませんが! 」

「 そして お金のことにこだわるような発言をなさいますがどうでもいいことです。事実、わたしの在所(実家)の資産はそんなレベルではありません!! しかし当時 びた一文ない主人についていく時に 私が決めたのは 夢だけでした。愛・信じるとはそういうものです 」

啖呵を切られて 義父はすっかり黙り込んでしまった。

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母はその市内随一の資産家にあり絶頂期は100億円を優に超えた資産だったからして確かにそれっぽっちで言うことかということだったのであろう。
ただ父のことを擁護するわけではないが 当時こそ 母に一文無し扱い(笑)されたそうであったが
父の家は大そうな名家にあり(笑)1900年初頭は国内純利益・総株式額トップの企業の筆頭株主であり
約3000億円の資産を保有していた。金融資産以外にも県の縦半分の長さにわたる不動産を保有しており
今の有名百貨店の場所を含めて県内随一の土地の保有は津々浦々であった。

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披露宴を終えて 姉の旦那に さっそく 母はだまっておれなくてけしかけた。

「 そうか!! 親父をだまらせたか あの親父を! 大したもんだよ あんたの母親は!! はははは」

豪快にわらっていた。

姉の義父は 一代で成り上がって 売上数十億円の中小企業にまで押し遂げた男だ。
シベリア抑留までされて生き残りそこまでやったのはあっぱれで それゆえ頑固だ。
そんな 頑固夫婦の義父と義母に挟まれて二世帯で生活を選んだ姉であるからして
相当な苦難が待ち構えていたのは想像にたやすい。

結果、甥っ子が生まれて間もなくして 実家に帰ってきてしまった。
すると旦那までこっちにきた。

思い返せば あの夫婦は 結婚する前から ぼくの実家に居候してなぜか ぼくが帰ると
風呂に入ってバスタオル姿の 兄 いやまだ結婚していないから奴がいた。
「 おつかれ〜 」 調子よくいわれて こっちも 「おつかれ〜」
随分 居候して 母から お灸をすえられ
「 うちは名家ですから こういういい加減な関係はそろそろけじめを!」といったら

「わかりました! では 早速 一か月後には 盛大に披露宴でもぱっとやりましょう」
その舌が乾かぬうちに二三本電話をして 何日の日曜日日程大丈夫かという案配
あっというまに
冒頭のくだりになったというわけだ。


なので また子供が生まれて つまり甥っ子が生まれて
なぜか実家に もどってきて 一番や〜な感じがしたのは ぼくである。
また このひとたちとともに生活するのかということだ。

もっと困ったひとがいた。義父と義母である 孫に会いたいために
毎日毎日 電話して 「 わるかった わるかった わたしたちがわるかった もどってきておくれ」と嘆願してくるのである。

姉は 「もうこれはしないで!」という20のルールを作ってこれをのちに20条のご誓文としたが
その約束後に再度 二世帯にもどっていったのである。
それ以降は完全に 姉が 実権を確保して 筆頭世帯主となったのである。


頑固な義父は それ以降めっきり精彩を欠いた。
あろうことか浄土真宗から歌舞伎界や政財界の箔が付くなどといって天台宗に改宗して数億円の寄進をした。それからも一日お経をあげにくるたびに500万円を包んでいた。 いや包まされていた。
きっとうちの母にのたまったように 55億円!などとお寺に自慢したのであろう、そこの住職も足元を見て毎度毎度 事あるごとに催促してきた。
義父はきっと住職のご機嫌取りと見栄のためにお金を言われるがままに払い続けて死んでいった。
葬式の前日に住職にお経を頼みに行って姉は今までの義父と住職のどろどろ関係を知った。お経を読み上げるだけに1千万円を要求されたからだ。 葬儀場は別に前金で2000万円支払った後であった。 経を読むのに1千万円とは?! いっぱいたくさん僧侶を連れてくるからかなと姉は平然とつぶやいた。ぼくがたまりかねて あほくさい、断ってしまいなさいって
払えるから払うんじゃない 義父と寺とのへんな因果を切り離すのなら 断ってしまいなさいって助言した。 ぼくの助言で600万円に値下げさせた。 
すると機嫌を損ねた住職は 怒って 当日 一人で来場した。
600万円だと 一人分にしかならないとでも言いたいのであろう。
ぼくは 笑ってしまった。
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姉と義兄に 「 それもこれも 頑固なおとうさまは見ていることだから 最後の最後までうんぜん万円払って総額数億取られてこんなことだとわかることが大事だ 」

49日の法要のお経は、言われた額面の3分の一 200万円しか包まなかったら
ついに 住職は現れず お経さえ読めない 怪しげな息子だけが来た。
ひどいお経だった。 姉と兄に
「 ぼくに包んでくれたら もっと立派に読むよ 」と言ってあげた。

これが 55億円と自慢した頑固で不便な男の49日かと思うと哀れだったが
やっぱり そういうもんだろうなとすぐにあっさりした。


いま 姉のうちに あの 啖呵を切った 偉大なる母が 居候している
だれよりも早く 一番風呂にはいっているそうだ。
義兄が会社を終わって帰ると 母がバスタオルを巻いて風呂から出てくる
「 おつかれ 」

義兄はたいそう それがいやだそうだ。
いや あなたは ぼくに いつもそれをやっていたんだけどね〜

おつかれさま!