現代アートのくそったれ!!
現代アートが悪いのか 
クリスティーズやサザビーズが悪いのか
アーティストが悪いのか

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はたまた
現代アートコレクターが悪いのか

答えはそのどれかどれかとも云えるし
そのすべてとも云えるし
そのすべてどれでもないとも云える

芸術は永く 時に哀れな間違いを犯す人類を太陽のように照らすものだった。

芸術を切磋琢磨してその崇高なる高みを目指す姿、 
見返りを求めない美しい鍛錬こそが文化の象徴のようである

われ思う

「 現代アートを囲む人たちは 値段を知っているが その作品の中身はほとんどしらない 」と

現代アートは 

アートをより身近にさせているとも云えるし 
アートをより法外な資本主義の怪物に変えて遠ざけてしまった
とも云える

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アートの本当の価値は値段とは違う
ピカソの200億円とバスキアの120億円と河井寛次郎の200万円とジョージナカシマの1000万円
ベンシャーンの50万円
どれもアートとしては国際的に観ても崇高で素晴らしいものだけどどれに優劣をつけることはできない。
しかし流通値段を見ると唖然となるほどに違う。 値段の違いほどに芸術性のレベルは遜色ないだろう。

時代のアーティストはオークションハウスをアートの墓場と呼ぶ。
本来は美術館のようなところに恒久的に保管されることを望んているアーティストが多いとされるが
個人コレクターがそれを阻む。 とても美術館の資金では手を出せる値段ではない。
古く伝統的な美術館のコレクションは元をただせば 個人コレクションの出自が多い
ただし このころのアートの値段は至極適正なもので ギャラリーが契約時に倍から4倍程度がせいぜい。
ゆえに個人コレクターはアートのためのコレクションをしていたのであって投資のためなんて烏滸がましいったらありはしないレベルだった。
今どうだろう アートの値段を競合して吊り上げ 誰が落とした 今回は負けた買ったと本来のアートの本質はおいてきぼりで落札金額ばかりが紙面を踊る。 挙句にはそれをさらに数年後売ってほかのアートの購入資金に充てる転売も目立つ。 転がしていると揶揄されて当然の行為である。

現代アートに手を出そうとすると躊躇してしまう自分がいる
この手を出すことが またアートをアートではなくならせるのではと穿ってしまう自分がいる

このような外的ウィルスと対峙する現代の人類において
すべてにおいて中立和平で第三者的な芸術は 
まさに人類の誇りであり永遠の癒しであることに疑いなない。 

ふと思う
現代アート自体はアート界のウィルス変異だったのではとも感じている
NEW NEO アートの扉は その向こうに広がっている期待感もある

どうなる アート?!  どうなる 人類?!