拝啓 ジョン・レノン様へ
ジョン・レノン様
ジョン・レノン様
貴方は今からちょうど80年前の1940年10月9日お生まれになりましたね
たしか商船の乗組員だった父アルフレッドと母ジュリアの間に長男としてでしたね
帰ってこない父のもとから母と去って育った貴方は、
行方不明だった父がのちに現れても迷うことなくジュリアを選びました。
美術や音楽に才能を見出しながらも通常の学業は先生から
不良のレッテルを貼られたことも手伝って次第に学校から離れて貴方はロックに目覚めます。
行方不明だった父がのちに現れても迷うことなくジュリアを選びました。
美術や音楽に才能を見出しながらも通常の学業は先生から
不良のレッテルを貼られたことも手伝って次第に学校から離れて貴方はロックに目覚めます。
ハートブレイク・ホテルを聴いたとき これだと叫んでいましたね。
その直観は、まさに教会でポール・マッカトニーと運命的な出会い
をしたとき同じ感性を感じたジョンはポールの才能に惚れたんです。 17歳のときです。
をしたとき同じ感性を感じたジョンはポールの才能に惚れたんです。 17歳のときです。
彼らが組むのにそれほど時間は要しませんでした。
ある意味 ビートルズの誕生はレノン=マッカートニーのクレジットに他なりません。
ある意味 ビートルズの誕生はレノン=マッカートニーのクレジットに他なりません。
リバプールのレコード店主であるブライアン・エプスタインがこのビートルズに興味を抱き
その後マネージャーとなったのですがある意味
ジョンにとっても第二の父代わりといってよかったのでしょう。
その後マネージャーとなったのですがある意味
ジョンにとっても第二の父代わりといってよかったのでしょう。
62年10月「 ラブミードゥー 」でデビュー。
翌年の1月 「 プリーズ・プリーズ・ミー 」から空前の快進撃が始まります。
64年にはその人気は全米に飛び火
64年の2月9日は全米でもっとも犯罪件数が過去50年で最低記録を達成
なぜなら その日放送のエド・サリバンショーでビートルズ出演 視聴率は72%!
庶民も犯罪者も皆 テレビに釘付けだったと ジョンさま さすがです。
ついには映画が2作連続リリース! 映画記者会見でのジョンさまの返答を今でも覚えております
「 世界を全米を全英を手玉にとってる気分はどうですか? 」
ジョンさま
「 手玉に取られる気分はどうなんだい? 」
2作目の映画の題名、曲名の 「 ヘルプ ! 」はまさにジョンさまの心の声ともいわれていますね
「 僕は本当にまじで助けてくれっと叫んでいたんだ。いろんな意味で肥沃した時期で自分を完全に見失っていた・・・。」と・・
66年にジョンさまは決定的なメッセージを福音を授けました。
「ビートルズはキリストよりも有名になった」
全米のラジオ局でビートルズの曲が放送禁止となってレコードが焼き討ち運動にひろがる
この時、ひとり キリストの再来はジョンさまそのもの、生まれ変わりなんですから当然の言葉なんですよと冷静に頷いていました。
ビートルズも ジョンさまあなた自身も我ここにあらずとなったそのとき 次第にビートルズ、そしてジョン自身からあなたははなれていきました ある意味 必然の流れなのです
天の助けを求めてぶらぶら歩いていた時
そこにギャラリーがあり そして 梯子があり、そこに上って鎖でつながれた双眼鏡を覗くと
小さな字で「 YES 」と書いてあった。 これを見てジョンさまはまちがいなく
これで 救われたような気分になったと語っております。
キリストさまが マリアに抱かれたような気分とでもいいましょうか
この日 あなたは ジョンになったんですね
67年の第二の父エプスタインが旅立ってからは、よりヨーコ・オノとどもにアイデンティティを探し出しましたね。70年4月10日衝撃的なビートルズ解散はある意味
あの3年前に運命づけられていたといえます。
ポールよりもソロを選んだジョンさま
それは
ビートルズよりもヨーコを選んだことを意味していましたね
ビートルズ時代もポールとの共作というポリシーでしたが
ヨーコ時代はつねにヨーコとの共作というポリシーでした
1971年イマジンもそれは 彼女の詩集「 グレープフルーツ」に影響されたものなんですね
72年以降はキリストの生まれ変わりらしく政治に環境に深く深く傾倒していったジョンさま
時の全米ニクソン大統領とも反立していましたね
一時は再度自分を見失って酒と薬に溺れてヨーコさんに別居を告げられたジョンさま
さぞ寂しかったでしょう
1974年のMSGでエルトン・ジョンの呼び掛けに応じて飛び入り出演したその日、楽屋であなたはヨーコさまに再会して許しを得たときの感動は言葉にならなかったと思います。
1975年に待望の長男ショーンが降臨。
「 エンパイアステートビルよりハイな気分だ 」
彼は生まれ変わったと宣言,長年アメリカ政府と争った永住権も手にして再度あらためて音楽に戻ってきました。「 息を吸い込んだら吐き出すだろ。そうしたくなったし伝えたいメッセージがあるんだ」
「 以前には書けなかった曲。この5年のおかげで僕はぼくになった。そして無意識で曲がかけるようになったんだ、喜び以外の何物でもないね 」
ある意味 神が神と出会って歩みだしたと感じました
誰しもがあなたにあなたのこれからに期待していました
80年12月8日貴方はキリストのように突然旅立ちました。
社会情勢に困窮した2020年
世界中の多くがビートルズのサウンドに何かを求めていると伝え訊きます
ジョンさまのサウンドに何かを感じるのでしょうか?
救世主を求めているのでしょうか?
落ち着くんです ただそれだけです
今日もただ聴かせてください
ジョンを知りたくて・・
拝啓 ジョン・レノン様へ
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