2021年のキーワードは何だろうと考えたとき
あらゆる社会的情勢の中でも
混沌の沼から
蓮の花のように
浮かび上がって
パッと咲かす徳は
改めて
「 知 と 良心 」かなと思うわけです
知が徳かと穿った方もおられるでしょう
知は あくまで賢なるものであり ずるいものではなく
社会的貢献や社会性に根付いて用いられる・発現されるものを指します
▼
行動でこれら 「 知 」 「 良心 」
を示すのは具体的であり万人にはわかりやすいことでしょう。
もしこれを芸術の分野やデザインの分野で
「 知 」 「 良心 」を示すにはどうでしょう?
皆さん パッとイメージ浮かびますでしょうか?
示すって表現は適当ではないでしょう。
デザインの分野でこれを体現してきた先人は
それを示そうとしてきたわけではなく
感度の高いひとたちがそれを察知して
「 知 」と 「 良心 」という付箋をつけたに過ぎない
▼
いま改めて
「 知 」 を感じるデザインは
北欧の賢人 アルヴァ・アアルトであろう
賢人は合板・曲木の技術で木材のデザインへ無限の可能性を齎した
発想と創造性の上で彼に並ぶデザイナーは数多くいても
これほど世界中に受け入れられてリプロダクトも含めて世界で一番模倣されているデザインを
知ることは難しい
建築・家具・商品・ユニバーサルデザインを含めておぞましいほどの「 知 」を現代の世の中にプレゼントしたまさしく賢人である。
▼
いま改めて
「 良心 」 を感じるデザインは
北欧の良心 カイ・フランクであろう
彼のデザインは現在の刺激を欲する若者には刺激は少ないだろう むしろこれがデザインなのかと揶揄する人もいることだろう。 これこそが彼の 良心たる 良心 あくまでデザインはプロダクトのプロダクトによるプロダクトのためのもので 奇抜なデザインはデザインによっての個性の埋没や機能低下につながると考えている一人のなのだから。
フランス語には女性名詞と男性名詞があるがカイ・フランクのプロダクトを見るとジェンダーレスという印象が強いのはそのためなのかもしれない。
▼
今年の序盤 創作活動のひとつに「 知 と 良心 のテラス 」を提案したいと考えている
二人にいえる共通した印象を掘り起こしてみると
現代にわんさかあふれている個性的なフォルムはまったくと言っていいほど皆無だ。
まるで無私の境地さえ感じられる
持ち手が主でありプロダクトは従であるかのように全く私が主張してこない
デザイン感度の高い人は必ず二人に帰ってくるという
最初はちょっといいなぐらい もしくは目立たないデザインと素通りさえしてしまうが
何年かぶりに観ると 「 これこそ! 」と絶賛している自分がいる
アアルトとフランクのデザインというのは
循環するように行きつくところ まるで家なのだ。
あらゆる社会的情勢の中でも
混沌の沼から
蓮の花のように
浮かび上がって
パッと咲かす徳は
改めて
「 知 と 良心 」かなと思うわけです
知が徳かと穿った方もおられるでしょう
知は あくまで賢なるものであり ずるいものではなく
社会的貢献や社会性に根付いて用いられる・発現されるものを指します
▼
行動でこれら 「 知 」 「 良心 」
を示すのは具体的であり万人にはわかりやすいことでしょう。
もしこれを芸術の分野やデザインの分野で
「 知 」 「 良心 」を示すにはどうでしょう?
皆さん パッとイメージ浮かびますでしょうか?
示すって表現は適当ではないでしょう。
デザインの分野でこれを体現してきた先人は
それを示そうとしてきたわけではなく
感度の高いひとたちがそれを察知して
「 知 」と 「 良心 」という付箋をつけたに過ぎない
▼
いま改めて
「 知 」 を感じるデザインは
北欧の賢人 アルヴァ・アアルトであろう
賢人は合板・曲木の技術で木材のデザインへ無限の可能性を齎した
発想と創造性の上で彼に並ぶデザイナーは数多くいても
これほど世界中に受け入れられてリプロダクトも含めて世界で一番模倣されているデザインを
知ることは難しい
建築・家具・商品・ユニバーサルデザインを含めておぞましいほどの「 知 」を現代の世の中にプレゼントしたまさしく賢人である。
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いま改めて
「 良心 」 を感じるデザインは
北欧の良心 カイ・フランクであろう
彼のデザインは現在の刺激を欲する若者には刺激は少ないだろう むしろこれがデザインなのかと揶揄する人もいることだろう。 これこそが彼の 良心たる 良心 あくまでデザインはプロダクトのプロダクトによるプロダクトのためのもので 奇抜なデザインはデザインによっての個性の埋没や機能低下につながると考えている一人のなのだから。
フランス語には女性名詞と男性名詞があるがカイ・フランクのプロダクトを見るとジェンダーレスという印象が強いのはそのためなのかもしれない。
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今年の序盤 創作活動のひとつに「 知 と 良心 のテラス 」を提案したいと考えている
二人にいえる共通した印象を掘り起こしてみると
現代にわんさかあふれている個性的なフォルムはまったくと言っていいほど皆無だ。
まるで無私の境地さえ感じられる
持ち手が主でありプロダクトは従であるかのように全く私が主張してこない
デザイン感度の高い人は必ず二人に帰ってくるという
最初はちょっといいなぐらい もしくは目立たないデザインと素通りさえしてしまうが
何年かぶりに観ると 「 これこそ! 」と絶賛している自分がいる
アアルトとフランクのデザインというのは
循環するように行きつくところ まるで家なのだ。
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