
河井寛次郎が好きだ。
ただ河井寛次郎はいない。
時代とともに河井寛次郎は育まれた。
同じような技量をもつものはおそらく今もこれからもいるだろう。
ただ河井寛次郎はただひとり。
あの時代だからこそできたものがある。
だから今もこれからも河井寛次郎はいない。
濱田庄司も同じくだ。
長くなった。
さて ももぐさに来ている。
安藤雅信も同じくだろう。
同じ時代 彼ぐらいの技量ならその辺にもいそうだが
河井と同じく 彼はこの時代にぴったりはまった陶芸家業を送っている。
そういう意味で 河井と同じくであろう。
安藤の面白いのあ 陶芸を哲学的でありながらビジネスにした。
そしてその哲学に賛同したものたちで名を持たない派を形成している。
この名を持たないのが彼流であろう。
彼の大振りのカフェカップが好きだ。
今 彼の 黒銀釉の深い盛り皿
を絶賛オーダー中だ。
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