フランスを旅すれば、一見すると言葉の中に何か冷たいかのような空気感にさっと春風のような暖かさでふわっと本質を浮き立たせるユーモアを感じることがよくある
これをエスプリとかボン・モとかフランス文化的には言うらしい。
米英のユーモアとかウイットとは明らかに違うのだ
此れは何処に端を発するのだろうと調べ尽くすと
中世まで遡り
「トゥルバドゥール」がその起源ではないかと
研究する文化学者に行き当たる

中世ヨーロッパの、特にフランスで、12世紀ごろに盛んだった、宮廷の貴族たちの恋愛を叙情詩にうたいあげた詩人たち。貴族(騎士)自身であることが普通だった。11世紀ごろに南フランスに生まれたトゥルバドゥールや、北フランスのトゥルヴェール、そしてやや遅れて生まれたドイツのミンネジンガーなどが一般に吟遊詩人と言われている。
このトゥルバドゥールが歌い上げる愛というのはだいたい宮廷においてなされる、身分の高い貴婦人に対する恋愛です。未婚の女性に対する恋愛ではなく、たとえば領主の奥方とか、既婚の、身分の高い貴婦人に対して、その名を告げずに、一方的に秘めて、そして熱烈な愛を捧げる、そういう騎士的な愛らしい。これが「宮廷風恋愛」で、それを歌ったものがトゥルバドゥールの愛の叙情詩ということになる
つまるところ
トゥルバドゥール Trobador は、南フランス、ラングドックやプロヴァンス地方に現れ、12世紀に活躍した、「女性を高貴な存在として認め、彼女に熱烈なロマンティックな愛を捧げる」叙情詩をうたいあげた詩人たち。多くは専門の芸術家ではなく、貴族(騎士)であった。彼らは宮廷や貴族館で騎士たちの恋愛沙汰を題材に、即興の詩をおもしろおかしく、ときにもの悲しく歌い上げ、後の文学の一つの源流となった。
それがいつ頃に始まったかはかならずしもあきらかではないが、南フランスのポアティエ伯ギヨーム・ダキテーヌ(1071-1127)の舘に集まる貴族たちによってはじまったという見方が有力らしい。彼らトロバドゥール・ラングドックといわれた南フランスの言葉を用い、ジョフレ・リュデル、バルナルド・デ・ヴァンタドルンといった人々を輩出した。この南フランスのトゥロバドゥール歌曲は、さらに12世紀ごろに北フランスに移植されトルヴェールの歌曲として開花した。

そうか、そういう背景でジャン・コクトーなんかがフランス文化的には輩出するのは所以があるし
レイモン・ペイネが出てきたのも俄然納得がいく

「 小さい部屋でも関係ない 」
「 愛こそ豊かなもの 」
彼の言葉
「狭いながらも
楽しい我が家って本当だね」
とはまさに我が意を得たり
ペイネの真髄たる表現
あの執事室も小さいながら
心が感じられれば豊かなもの
小さい部屋で充足し本質の大切なもの
愛に豊かさを
感じていたペイネ
ペイネ美術館は
小さいながら
素敵な豊かさを教えていました
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