ダイバーシティーって
ジェンダーや障害などに特化したものと勘違いしていませんか?
本来の多様性は、弱者やマイノリティーに語義を用いることが
取り上げらえているうちに独り歩きしている印象を否めません。

単純に 多様性は、考え方やそのあり様のさまが混在していることを指すだけ
ですから弱者やマイノリティーを支援するってのとは違うわけです。

むしろそれを言ったら 能力がありすぎる人が タスクオンタスクで仕事をどんどん負担かけられている過重労働なんかの 能力強者においても 多様性を重んじて この仕事を終えたら時間依存でなくてタスク依存で終了して帰宅可能ってのもダイバーシティーの在り方。
そうやって使うのもダイバーシティー。


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日本のメディアや広告業界の捉え方はSDGSやサスティナブルのときも思ったけど 思わず共感を産みそうな弱者支援ばかり取り上げるから 数年で違う意味が植え付けられてしまう。

アートでもインテリアでもアパレルでも医療でもダイバーシティーって言葉を乱用しているけど
どれも ピントやフォーカスが違っていたり狂っていたりぼやけていたり。

オリジナリティーが存在しないことをダイバーシティーと捉えれば それぞれの価値観を尊重するみたいなあり方なんだと思う。 マジョリティーも尊重したり強者もちゃんと理解してあげるのもダイバーシティなんだよね。


アートで言えば 、 今 日本で最も注目されるダイバーシティーアーティストとして三島喜美代さんが各方面で取りざたされて笑ってしまう。いや30年前から知っていましたし注目していましたが 今更ちやほやして群がって 寄るんじゃないって感じですよね ファンからしたら。

ゴミをアートにした最初のアーティストなんて云ったり
捨てられる新聞を情報過多の社会をゴミと比喩表現したアーティストなんてね
捨てられる瞬間に、人に挙げる皿を丸めて使う新聞を表現したりね

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今更 とってつけたように ダイバーシティーをとっつけてやるわけですよ。
12年前にもいたな 英国イアンスティーブンソンというアーティストがね
イギリスの路肩に 捨てられたごみに 顔やセリフを描いたりしてね
ストリートアーティストとして活動していて ゴミをアートに変えたってね
アートというのは 初めてやったりしたら すべてマイノリティーの先陣切った人みたく
多様性の走りみたいに扱われるのが歴史的に繰り返し繰り返し
ピカソもモネもダビンチもみんな当時はマイノリティーなんですからね

これだけがオリジナルってことを認めない瞬間にすべてが多様性を受け入れざるをえないわけ
でも 今の時代 これだけがこれなのって言い方 絶対的な普遍的定義はないってのが定理みたいな時代でしょ。 最初そういっていても翌年には定義すら変わる、いわゆる流動的定義な時代なんだから

だから そもそもが地球があったときからダイバーシティーの時代を輪廻転生繰り返し繰り返ししているだけなんだよね そういう新たな波の受け入れこそがダイバーシティーなんだからね

そうだと決めた瞬間 それは違うって言われるのがダイバーシティー。
貴方が読んでいるブログだって5分後 消えちゃうってこともあるんだからね
えって??!!!!
これもダイバーシティー でずぞ。