娘が、テレビを観ながら訊いてくる
たまには大人らしくぱしっと答えないとなと身構える
「 人災ってなに? 」
「 人災というのは、人が関係したことで災害が発生することだよ。例えば飛行機が整備ミスで落下したら人災、 逆にハリケーンなどで飛行機が落下したら天災ということになるわけだね 」
アノンさん 笑っている つぼにはまっている てんさいって
「 そうか 天災も知らなかったかもね。 天災ってのは天才じゃないよぉ。 気候や自然がもたらした災害のことを言うんだよ。」
 

亡き父がよく言っていた。 
地球に住む限り 天災は 地球の呼吸だ。
人間が地球に間借りして住む限り、受け入れるのが当然だ。 
そして慎むべきは人災だと。
父は湯川秀樹氏とともに原子力発電に対して真っ向から
最初に反対を論じた数少ない初期メンバーだった。

父はよく言っていた。 
人間にとって幸福の道なんてないんだ。 
ありのまま道があるだけ幸福なんだ。 
それに気づかず無理やりの道を作る。 
そして陥落する。 
人災は起こるべくして起こる。と


地球上に生命が誕生して40億年。
たかが数千年の歴史しかない人間が
我儘顔に地球の唯一の生物かのように傍若無人に振舞って進化したつもり(笑)
自然は災害をもって地球の呼吸を知らしてきた。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・。」
諸行無常と悲哀とを天変地異から人をみて記載された。
鴨長明は大火や竜巻、大飢饉、大地震を経験し録している。
その中で感じた所感は この世の人と住まいは泡のように浮かんでは消えるということだ。

そして井伏鱒二の一節を思い出す

あの日
水平線の向こうへ
さらわれてしまった
友よ
十年の朝だ

小説『 黒い雨 』は 原爆投下から19年の時を経て書かれた。

天災は 人に何かを示しているのか。 
人災は 人をしかと戒めたのか。

内面化され 思想化され 
深く沈潜させ 詩的に再生させ、
そこに何ら阿鼻叫喚はない
澄明な黙示録があるだけだ

父が語っていたように、
天災と人災の区別はもはや難しい世の中になった。

天災は繰り返され
畳みかけるように
人災が続く

日本語表現はつとに難しい。
そういう世の中に人がした。
古く孟子は語りき。

運命に流されるだけでなく 
流れを受け入れつつ 
その流れを見極め、
その上に立つことを
「立命」と表現した。

ならば 立命として今 
地球にどうあるべきか 
人がやらねば誰がするのだろう