行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。


気になり父方の祖母の在所を訪ねた。
この家は名古屋でもっとも古い皮膚科医 もとをたどれば尾張徳川家の御典医であり、由緒ある家柄だ。
祖母の在所をこのように描くのは自慢のように滑稽であるが事実にそくして書いている。
この家には子供おらず、古くは非常に優秀な関西のご子息だとふれこみで養子縁組を行った。
この養子の兄が灘高校から京大医学部に進学したことが大きな後押しだったらしい。
結果、 養子は愛知医大さえも不合格となり浪人後、裏口にて同大学医学部に進学。
結果、 養子は医師になってのちに親子喧嘩が絶えなく数年後絶縁、本当の兄が加担して大きく裁判を起こされ億円を超える慰謝料を払わされた。

その後から歯車が大きく狂ってきた。バブル絶頂期には天下のデパート三越が近づいてきてグルメ館の提携運営を持ちかけて当時10億円で建設。
10年経って三越担当者が笑顔でやってきた、契約が切れました。撤退しますと。

それでも健気に高齢になっても医院を経営。なんとかグルメビルも名前を変更して経営。
10数年前に久しぶりにおじさんに電話した。
「 お〜うれしいなぁ、会えるか、そうか。立派になったな 」と電話口だったけど破顔なのが知れた
でも、そのあとなんだかんだで会えなかった。
娘が産まれて、やたらとルーツを知りたがる娘が 私の祖母のことが大好きだと言い出した
そういえば妻は前から会ってもない祖母が好きだと 不思議なことだ、
私でさえあったこともないのに 「 好きだ 」と云えることが不思議だった。

名古屋の鶴重町、たまたま食事に行ったときに おじさんの顔、いや、破顔の声、が頭に過った。
気づいたら医院の前に家族3人はいた。
大きなビルの横に医院のドアがうっすらと見えて張り紙がある。
妻が「 閉院のお知らせ 」だってと、続けて
娘が 「3年前だって」 「 えっつ?」

「せっかくだからちゃんと玄関まで入って挨拶したら」と妻