固定概念を動かす
一樂ニ萩三唐津なんて言葉がありますね。

何せ 茶道の世界のおうるさい審美眼とやらをお持ちの方が言い出して
茶には、茶碗として相応しい格付けなんだそうで

私からすれば、こんな格付け自体が、身分別け隔てなく にじり口から 入って 小うるさいったらありゃしないなぁと
格付け美学で アンフェアに順次付けが、
茶の本質と矛盾しかねないなと
苦笑せざるを得ません。

志野も良いし、瀬戸黒も、織部も良いですしね

茶席に入る人に、玉石混合 日本人でも外人でも何でもござれですからね
肌の色も、故に 茶碗の土色、釉薬の色だって
色々 あって言い訳です
白磁の碗だって 相応する場合もあるでしょうネ


もっとも、我が美の心の師でもある岡倉天心先生が書かれた茶の本にはそんな格付けなんて一言もありませんからね。さすが、これぞ先生なんですよね。

そういう悪しき固定概念っていうのは伝統とは違ってるんです。

間違っちゃいけませんよ。楽も良いし萩もいい
唐津も良いし志野も良いしって話なんです
そこに並び順の美しきランキングってものがバカバカしい(笑)
固定概念を固定させるなです。はい。

もっともランキングってものが好きならいいですよ
やらせておけば。ミシュラン食べログ何でも評価の時代てすから
令和の茶碗順もあっていい…
たとえば
令和の時はこうなりました。

一志野ニ萩三備前なんてね。
言葉ごろと語感的にはありでしょ?!
またの時代に、ころころ変わっていいんです
そうすりゃ 楽焼だってうかうか出来ませんから
良き変化が生まれるってもんですわ
これも固定概念を固定させるなって事なんです