天才キッズゴルファーの光と影
――アマチュア規定緩和がもたらしたもの――
2022年、ゴルフ界におけるアマチュア規定は大きく転換した。スポンサーからの支援金に上限が設けられなくなり、才能あるジュニアゴルファーは、プロでなくとも莫大な資金を得られる時代となった。制度の趣旨は明快だ。経済的理由で才能が埋もれることを防ぎ、競技に集中できる環境を整えること。しかし、その理想の裏側で、別の歪みが静かに広がっている。
天才少年、天才少女と言われながら
同年代の地区予選アマチュア試合で次々と
抜かれていく悲哀。
もはや、天才ではなく、同年代の上手い集団の中に埋もれていく悲哀。
いつの間にか天才の面影は無くなり
「この地域でちょっと上手いレベル」
と成り果てていく…。
象徴的なのが、中学生でありながら総額数億円規模のスポンサー支援を受ける「天才キッズ」弥勒選手や誠之助選手の存在である。問題は、子ども本人が変わることではない。変わるのは、むしろその周囲、特に親である。
そして親の変化を一番敏感に感じ取るのは、子供なのである。
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かつてアマチュアだった頃、海外遠征一つを実現するにも、親は頭を下げ、資金を工面し、ギリギリの選択を重ねていた。そこには「限られた資源をどう使うか」という切実な判断と、競技への純粋な集中があった。
本来、アマチュアゴルファーが競技に専念するために必要な資金は、年間数億円ではない。国内外の試合参加費、遠征費、最低限のコーチングや用具を含めても、年間数百万円あれば十分に高いレベルで戦うことは可能だ。
それを大きく超える資金が流れ込むとき、競技環境は質的に黒い影と共に変質する。
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スポンサー企業は、支援の見返りとして「広告塔」を求める。企業主催のプロトーナメントに、実力で勝ち取るマンデートーナメントではなく、推薦枠で出場する。
メディアは「最年少予選通過なるか」と煽り立てる。しかし結果は、多くの場合、無残な予選落ちだ。身体的にも精神的にも未成熟な段階で、プロの世界に晒される代償は大きい。
問題は成績そのものではない。
ゴルフだけに集中していた時間が、いつの間にか世間の視線、批判、そして何より親の過剰な期待に侵食されていくことである。
子どもは「才能ある競技者」である前に、「家族の希望」や「スポンサーの投資対象」「お金を生む商品」になってしまう。その重圧は、静かに、しかし確実に心を追い詰めていく。
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こうした状況を前に、アマチュア規定の「回帰」が必要だとゴルフ関連の関係者から悲痛の声が広がっている。
例えば、年間のスポンサー支援総額に上限を設ける。年間受け取れる総額が200万円程度であれば、競技環境の確保と過剰な商業化の抑制を両立できるだろう。
一方で、海外アマチュア大会への渡航費など、競技経験の拡張につながる支援は別枠で認める。これは「お金で夢を買う」ためではなく、「経験で実力を育てる」ための支援である。
才能は、守られてこそ伸びる。
早すぎる成功やメディア露出は、しばしば静かな破壊を伴う。天才キッズゴルファーを本当に守るべきなのは、彼らのスコアでも、スポンサー価値でもない。競技と向き合う純粋な時間と、静かに失敗とも向き合える権利、そして大人になるまでの余白である。
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アマチュア時代の選手はスポーツメンタルなどは一切関係なく情熱と勢いでゴルフに専念し向上するのが望ましい。
スポーツ心理学に基づくサポートはプロになってからのほうが心の成長には素直な培養とされている。一方で子供の時代にメンタルが壊れた場合にはもはやゴルフどころではなく、ゴルフが駄目であった場合に人として社会に溶け込むのさえ難しくなる。
アマチュア規定とは、才能の自由を縛るためのものではない。
才能が商業に飲み込まれるのを防ぐための、最後の防波堤であるべきであり、早い原点回帰が望まれる。
下記の結果は天才少女少年の
つい先ごろ開催された同年代での
地区大会予選の結果である。
須藤弥勒選手は須藤弥勒選手は83-81のスコアで6位予選落ち
福井誠之助選手は77のスコアで8位予選通過
かつての世界同年代で群を抜いて秀でた光は見られない…。


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