紙袋が有料になる日、
百貨店は何を実行したのか?

三月一日から、大丸松坂屋百貨店の紙袋が有料になる。
環境保全の取り組みの一環だという説明は、今の時代において十分に理解可能だ。
それでも、百貨店の紙袋に関しては、どうしても割り切れない感覚が残る。

スーパーのレジ袋が有料化されたとき、
ある程度、私たちは納得した。
プラスチックという明確な環境負荷があり、「使わない」という選択肢が現実的に存在していたからだ。
だが百貨店の紙袋、とりわけギフトの場面では事情が違う。
贈答用の商品を、紙袋なしで手渡すことはほぼあり得ない。
自前のエコバッグに入れて差し出すわけにもいかない。
今どき、風呂敷の包みもありえない。
紙袋は、環境以前に
「礼儀」の側に属している。
つまり、
「できれば使わないでほしい」
とされながら、
礼儀として「使わざるを得ない」
ものが有料になる。
ここに一つ目の矛盾がある。

そしてもう一つ、より本質的な矛盾がある。
百貨店の紙袋は、長年「広告」だったという事実だ。
ロゴの入った紙袋は、街を歩く広告塔だった。
消費者が自然に持ち歩き、
「私はこの百貨店で買いました」
というメッセージを、無償で拡散してきた。
本来それは、百貨店側が費用を負担してでも提供したい“広告媒体”だったはずだ。
その広告料を、今度は
「環境のために」
という名目で、消費者が支払う。
これは冷静に考えると、なかなか大胆な構図である。
広告を担う役割は変わらないのに、
そのコストだけが、いつの間にか消費者に移されている。

紙袋を持って歩くことで、
私たちは
・贈り物の体裁を整え
・百貨店の品格を背負い
・ブランドの認知向上にも貢献する
そのうえで、料金まで支払う。
環境配慮という大義名分がなければ、
この構図はおそらく成立しなかっただろう。
もちろん、企業経営としては合理的だ。
紙袋の使用量は減り、コストは下がり、
ESGへの姿勢も示せる。
だが、合理性がそのまま文化の正解になるとは限らない。
百貨店は、効率や正しさだけで選ばれる場所ではなかった。
少し過剰で、少し無駄で、
その「無駄」を含めて価値として売ってきた場所だった。

紙袋の有料化は、
環境への配慮であると同時に、
百貨店が自らの“広告”を
消費者負担で委ねた瞬間でもある。
贈答に必要で、
広告としても機能し、
それでもなお有料になる紙袋。
この小さな袋に詰め込まれているのは、
紙ではなく、
百貨店という存在が今、何を優先し、
何を手放し始めたのかという問いなのかもしれない。